江戸城の石に400年前の大名のサインが残っている——天下普請と刻印石、東京の地下の秘密

東京の石と地質——産地の歴史写真
石好き次郎
御徒町には、宝石店が数百軒集まる。江戸時代の職人町が、そのまま宝石街になった。町の名前は変わっても、手の記憶は残る。

東京の石でいちばんおもしろいのは、拾う石ではなく、見上げる石だ。皇居の石垣に、400年前の大名のサインが彫られたまま残る。足元のほうはどうかというと、こっちは12万年前の海の底だ。

都心の地下には「東京層」という地層がある。約12万年前、下末吉海進で海面が上がり、いまの関東平野に「古東京湾」が広がった。その浅い海の泥と砂だ。銀座も新橋も有楽町も、靴の下は12万年前の海の底になる。

さらにその下に上総層群(かずさそうぐん)。約250万〜40万年前の海でたまった砂岩・泥岩・凝灰岩だ。東京は、掘っても掘っても海が出てくる。

ざっくり分けると、西の多摩丘陵(関東山地の縁)、まん中の武蔵野台地(関東ローム層)、東の沖積低地。東京の地面は三つの顔を持つ。

石を拾う側から言うと、東京の本番は西の端、奥多摩にある。日原鍾乳洞の石灰岩は、古生代の海がそこにあった名残だ。その山から、多摩川がいろんな礫を運んでくる。

この記事は読み物だ。大名のサインの話だけ先に読みたければ、後半の天下普請の章へ飛んでいい。東京の河原や浜で実際に拾うなら、東京の川原で宝探し。多摩川・奥多摩で見つかる石のほうが役に立つ。

目次

東京の地質——3つの時代が積み重なる

地層名年代成因場所
関東ローム層(赤土)約40万〜1万年前富士山・箱根・浅間・榛名・赤城などの火山灰が降積した火山灰質土台地の表層(武蔵野・多摩地区)
東京層群(東京層・東京礫層)約73万〜6万年前氷期と温暖期のサイクルで形成された海成・陸成堆積物低地部の地下〜台地の深部
上総層群約250万〜40万年前古い海成堆積層。砂岩・泥岩・凝灰岩。超高層ビルの支持層深部(地下数十m〜数百m)

台地の赤土、関東ローム層は、富士山・浅間山・赤城山・榛名山などの火山灰が数十万年かけて積もったものだ。東京の赤い土は、遠くの山が降らせた灰でできている。地下鉄の工事で毎日掘られる土が、じつは火山の置き土産だ。

縄文の東京でも、石は道具だった。多摩川や荒川の上流から来たチャートや硬砂岩が、打製石器や磨製石器になった。縄文人にとって赤いチャートは刃物の材料。こっちは眺めて喜ぶだけだから、ずいぶん贅沢な使い方をしている。

上野の国立科学博物館の地球館には、鉱物・岩石・隕石の標本が並ぶ。見たあとで多摩川に行くと、さっきガラスの向こうにあった石が、濡れて足元に転がる。順番は、博物館が先のほうが効く。

縄文時代の東京湾——内陸まで海だった

約6,000年前の縄文海進で、海面はいまより数メートル高かった。東京湾は内陸まで入り込み、江東区・墨田区・荒川区のあたりは海の中。埼玉の奥まで「奥東京湾」が広がっていたとされる。

そのころの上野は、海に突き出た岬だった。上野公園や不忍池のまわりには縄文の集落跡と貝塚が残る。いまの上野駅から秋葉原あたりは海。山手線に乗ると、縄文の海岸線をなぞることになる。

石好き次郎
御徒町で「この石、産地は?」と聞けば、答えられる店とそうでない店がはっきり分かれる。買うなら、答えられる店だ。

御徒町・上野の縄文貝塚

御徒町の駅前は、縄文のころは海の中だった。貝塚はその海岸線に沿って並び、上野から本郷台地の端にかけていくつも見つかる。出てくるのはハマグリ、カキ、シジミ。6,000年前の東京湾の献立表だ。

文京区弥生は、弥生土器が最初に見つかった場所で、それで「弥生式」の名がついた。東京は、地面をめくると教科書が出てくる街だ。

多摩川「幻の河原」——水が引くと現れる100万年以上前の海

多摩川の中流には「幻の河原」と呼ばれる場所がある。水位が下がったときに川底が顔を出し、100万年以上前の浅い海の地層(上総層群の一部)が現れる。貝や甲殻類、エイの尾の棘の化石まで出てくる。

立川から数kmのところが、100万年以上前は海だった。見に行くなら、地元の博物館などの観察会を探す。真冬の川に一人で入るより、こっちのほうがずっと賢い。

川の礫、公園の置き石、ビルの壁。地質の目で歩くと、東京は別の街に見えてくる。入館料のいらない博物館が、駅を出たところから始まる。

拾う川、値札の街、火山の島

東京で実際に拾うなら、多摩川になる。上流は秩父帯を流れてくるから、チャート、石灰岩、砂岩、緑色岩が混ざる。種類が増えるのは、青梅から羽村にかけての河原だ。私のホームもこの川で、20年歩いてまだ飽きる気配がない。

八王子のあたり、浅川の上流にも、中生代の付加体の砂岩や泥岩が顔を出す。関東山地の縁の石を、都内で拾える。多摩川ほど名前が知られていないぶん、穴場と言っていい。

拾う石の反対側、値札のついた石を見るなら御徒町だ。日本でも指折りの宝石・ジュエリーの問屋街で、翡翠、サンゴ、パール、色石の問屋が集まる。江戸の職人町に明治以降は貴金属の職人が集まり、それがいまの問屋街につながった。

東京都には、現役の火山もある。伊豆大島、三宅島、八丈島。三宅島は2000年に大噴火した玄武岩の島で、伊豆大島の三原山もいまだに動く。小笠原は、海洋プレートの沈み込みが始まったころの火山がつくった島々だ。いちばん若い東京の石は、23区ではなく海の上にある。

江戸城の石に残る「大名のサイン」——刻印石と天下普請

題名の「400年前の大名のサイン」は、江戸城の石垣に残る刻印石のことだ。江戸城を築くとき、徳川は全国の大名に石を出させた。その石の一つひとつに、どの大名が用意したかを示す印が刻まれた。地面に残った、四百年前の署名だ。

天下普請——全国の大名が石を運ばされた

江戸城の大改修は「天下普請」と呼ばれる。費用も人手も大名持ち。とりわけ西国の大名は、伊豆半島で切り出した安山岩を石船で江戸まで運ぶ役目を負った。伊豆の海岸で割り、船に積み、江戸湾へ。城ひとつのために、日本中の石と人が動いた。

使われた石の多くは、伊豆の安山岩や凝灰岩だ。硬くて、大量に切り出せる。石垣を石好きの目で見ると、どこの石を誰が運んだかという物流の帳簿に見えてくる。

運ぶのは命がけだった。数トンの石を修羅(しゅら)という木ぞりに載せ、大勢で曳いて港まで運び、船で海を渡す。海が荒れれば、石ごと沈んだ。拾った石ひとつが重いと文句を言う身には、想像もつかない仕事だ。

刻印は「これはうちの石だ」という目印だった

印は家紋、記号、文字といろいろある。なぜ彫ったのか。答えは単純で、自分の石がよその大名の石と混ざらないようにだ。港に集めて船で運ぶあいだの取り違えや横取りを防ぐ。「これはうちの石だ」という名札になる。

つまり刻印は、四百年前の所有の証明だ。来歴を石そのものに結びつけて守る。いまなら証明書が担う役目を、江戸の大名はノミ一本で片づけた。石の商いを長くそばで見てきた目には、いちばん話の早いやり方に見える。

印の種類は驚くほど多い。丸、三角、格子、家紋、石工の符牒。同じ印が並ぶ区画と、別の印が混ざる区画を見比べると、どの大名がどこを受け持ったかが浮かんでくる。分担表であり、大名どうしの見栄の張り合いの記録でもある。

刻印石は今も歩いて見られる

刻印石は、皇居東御苑(旧江戸城本丸跡)の石垣で間近に探せる。名古屋城や大阪城も刻印石で知られ、無料で見られる場所も多い。ただし江戸城跡は特別史跡だ。見るのはいいが、触って削ったり、欠けた石を拾ったりはしない。ここは目だけで持ち帰る。

刻印石のおもしろさは、自然が作った石に、人の意図が彫られていることだ。何百万年かけてできた安山岩に、四百年前の誰かがノミを入れた。河原で拾う石には、この手の跡がない。

コツは、まず一つの印を覚えて、同じ印を石垣の中で探すこと。同じ家紋がかたまる場所は、その大名の受け持ち。印がばらばらに散る場所は、あとの修復で寄せ集めた跡かもしれない。石垣の前で半日つぶせる人間は、たぶん少数派だ。

多摩川で石を探す日とは別に、一度は東御苑の石垣をゆっくり見ておきたい。足元には古い海、目の高さには大名の印。多摩川の採集については多摩川の足元は小さな鉱物図鑑。東京の川原で石を探すにまとめた。拾う石と、運ばれた石。同じ東京に、両方ある。

ビルの壁も石だ。花崗岩、大理石、ライムストーン。産地はイタリア、スペイン、中国、日本。東京駅の丸の内駅舎には茨城県産の稲田石、日本橋三越の柱は大理石。壁を見る癖がつくと、いつもの道が採集地になる。拾えはしないが、産地は読める。

石の目で東京を一日歩く

東京の地下は、古い時代の砂利や粘土の上に、新しい川の泥が重なってできている。武蔵野台地と低地の境目は、だいたい山手線に沿って走る。江戸の町が台地の縁にできたのも、地面の都合だった。

新宿御苑、皇居外苑、日比谷公園。公園の石畳や敷石を見ると、花崗岩、安山岩、砂岩と種類がちがう。ベンチで休むふりをして足元を見るのが、いちばん怪しまれない観察のしかただ。

建造物・地点石・地質との関係
東京駅(丸の内駅舎)茨城県・稲田石(稲田花崗岩)が使われている。赤レンガの多くは埼玉・深谷の工場で焼かれた
国会議事堂外壁は山口・黒髪島の徳山石と広島・倉橋島の議院石(どちらも花崗岩)。内装には30種類以上の大理石。「日本の石の殿堂」と呼ばれることも
日本橋初代(1603年)は木の橋。現在の石橋(1911年)は花崗岩
超高層ビルの杭基礎地下深部の「東京礫層」または「上総層群」に杭を打ち込んで支持。西新宿の高層ビル群はこの礫層上に立つ

多摩川の源流、小菅村や丹波山村(山梨県)のあたりでも、石英脈やチャートが出る。東京の川の、生まれたところの石だ。

東京で一日使うなら、朝は多摩川の河原で拾い、昼は御徒町で値札を眺め、午後は東京国立博物館。採る、売る、残す。石の一生を、順番どおりに見る一日になる。

石を見る日なら、ミネラルショーもある。東京ミネラルショー(池袋)と東京国際ミネラルフェア(新宿)は年1〜2回開かれ、世界中の鉱物・化石・宝石が集まる。財布のひもは、入口で一度結び直しておく。

東京で実際に拾う場所は、多摩川・御岳渓谷・秋川渓谷を東京の川原で石拾いにまとめた。地質を読んでから河原に立つと、足元の礫がちゃんと名前で見えてくる。

よくある質問

Q. 多摩川「幻の河原」の化石ツアーに参加するには?
A. 日程はその都度なので、地元の博物館などの観察会の案内を探す。軍手とゴーグルは持っていく。

石好き次郎から

多摩川の石は、川が勝手に運んできた。江戸城の石は、人が命がけで運んだ。どちらも東京の石だが、私が持ち帰れるのは前のほうだけで、それでちょうどいい。

石好き次郎
御徒町の1万円の石も、多摩川の0円の石も、どちらも本物の鉱物だ。値段の差は、石の中にはない。
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持ち帰れるほうの東京の石は、多摩川にある。多摩川の足元は小さな鉱物図鑑で、電車で行ける河原と、そこに並ぶ石の顔ぶれが分かる。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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