渡良瀬川はかつて「薬水」と呼ばれるほどの清流だった。
栃木県日光市足尾地区の足尾銅山——1610年(慶長15年)から本格採掘が始まり、明治時代には日本の産銅量の40%を産出した日本最大級の銅山だ。しかし足尾銅山の黄銅鉱(おうどうこう・CuFeS₂)の採掘が大規模化した明治時代、採掘跡の坑道から硫酸銅を含む有毒な地下水が渡良瀬川に流れ込み、魚が消え・農地が汚染され・人が病気になった——「足尾鉱毒事件」は日本最初の公害問題だ。
「石(黄銅鉱)が川を汚した」——銅山の石の採掘がなければ起きなかった公害。そして「石(鉱物)の化学」を理解することが問題の解決への道でもあった。

黄銅鉱の酸化——鉱毒の「石の化学」
足尾鉱毒の原因を石好きの視点で解析する——足尾銅山の主要鉱石「黄銅鉱(CuFeS₂)」は、硫黄(S)・銅(Cu)・鉄(Fe)の化合物だ。坑道内で黄銅鉱が空気・水に触れると酸化反応が起きる:
CuFeS₂(黄銅鉱)+ O₂(酸素)+ H₂O(水)→ CuSO₄(硫酸銅)+ FeSO₄(硫酸鉄)+ H₂SO₄(硫酸)
この化学反応で生成した硫酸銅・硫酸・硫酸鉄が坑道の地下水に溶け込み、渡良瀬川に流れ込んだ。硫酸銅は魚毒として強く、農地に染み込むと土を酸性化して作物を枯らした——「黄銅鉱という石の酸化が川を殺した」という、鉱物化学の悲劇だ。
| 鉱毒の主要成分と被害 | 化学式 | 被害 |
|---|---|---|
| 硫酸銅( CuSO₄) | 黄銅鉱の酸化生成物 | 魚毒・農作物毒性 |
| 硫酸(H₂SO₄) | 硫化鉱物の酸化 | 土壌酸性化・農地荒廃 |
| ヒ素・カドミウム・鉛 | 黄銅鉱中の不純物鉱物 | 人体蓄積毒性・長期健康被害 |
田中正造——石が作った公害に石を持って立ち向かった男
田中正造(たなかしょうぞう・1841〜1913年)は栃木県佐野市出身の政治家で、衆議院議員として1891年(明治24年)に初めて帝国議会で足尾鉱毒問題を取り上げた。明治政府が「人命・居住・交通に危害がなければ公害でない」という論理で問題を矮小化する中、田中は農民の立場から「国民を殺すことは国家を殺すことだ」と訴え続けた——「亡国演説」として歴史に刻まれた言葉だ。
1901年、田中は衆議院議員を辞職し、明治天皇への「直訴」を試みた(未遂)。晩年は廃村を強制された谷中村(現・栃木市藤岡町)に住み続け、1913年に現地で没した。田中正造は「日本の環境運動の先駆者」として今も評価されている——石(鉱物)が生んだ公害と向き合った人物の記録が栃木に残る。

足尾銅山のその後——「はげ山」から緑の山へ
足尾銅山の精錬所から出続けた亜硫酸ガス(SO₂)が周辺の山の植物を枯死させ、燃料調達の乱伐も重なって、足尾の山は完全な「はげ山」になった——1973年の閉山後も、今も緑化作業が続いている。緑化のボランティア活動「足尾植樹の会」が1989年以来活動を続け、少しずつ緑が戻りつつある——石(銅鉱石)が奪った森を、人間の手で少しずつ取り戻す作業だ。
よくある質問
Q. 足尾銅山を見学できますか?
足尾銅山観光(日光市足尾町)では実際の坑道内をトロッコと徒歩で見学できる(入場料:大人830円・小人410円程度)。江戸時代〜昭和時代の採掘の歴史を人形で再現している。渡良瀬遊水地(栃木市)では足尾鉱毒事件で使われた遊水池と田中正造の顕彰施設を見学できる。
石好き次郎から
足尾銅山の歴史は「石(鉱物)が産業を作り・産業が自然を壊し・人間がその代償を払い・今も修復中」という現代の環境問題の原点だ。黄銅鉱という美しい金属鉱物の採掘が川と山を変えた——石の持つ力(富)と毒(破壊)の両面を、足尾の歴史は今も見せ続けている。


コメント