5世紀の関東に大和政権の金文字が届いていた——稲荷山古墳の金象嵌鉄剣と埼玉の石

埼玉の石と地質——産地の歴史写真
石好き次郎
錆びた鉄剣から、金の文字が115個出てきた。5世紀の関東に、大和政権の文字が届いていた。礼を言うなら、錆のほうにだ。

埼玉の石のおもしろさは、鉄と金という二つの鉱物が、日本史の年代を一本の剣の上で決めたところにある。始まりは1978年。1968年に出土していた鉄剣の錆を落としていたら、金色が光った。

剣は埼玉県行田市の稲荷山古墳から出たもので、10年間「ただの古い剣」として保管されていた。X線で調べると、表に57文字、裏に58文字。計115文字の金象嵌(きんぞうがん)だった。「100年に一度」の発見と言われた。10年間、誰も気づかなかったのも、それはそれですごい。

読めた名前は「ワカタケル大王(雄略天皇)」。5世紀の関東まで大和政権の力が届いていた、という話が、この剣で確定した。教科書の一行が、行田の土の中から出てきたわけだ。

長瀞の変成岩、武甲山の石灰岩、稲荷山の鉄剣、荒川と利根川の河原の礫。一県でここまで揃う。関東で石を見に行くならどこか、と聞かれたら、私は埼玉と答える。

石の歴史を読んで、埼玉で石を拾ってみたくなったら長瀞だけじゃない。埼玉の川原で美しい石を探すへ。行き先は、そちらにまとめてある。

目次

金錯銘鉄剣——鉄と金の「異金属の共演」

金象嵌は、鉄の表面をタガネで彫り、その溝に金の細線を埋めて飾る技法だ。言葉にすると一行で済む。やるとなったら、一文字で日が暮れそうだ。

金錯銘鉄剣の石・金属の視点詳細
剣身の素材鉄(Fe)——5世紀に、これだけの剣を鍛える技術があった
象嵌の素材金(Au)——純金に近い金の細線を溝に埋め込んだ
金が1500年保存された理由金はふつうの酸・アルカリにはほぼ溶けない(耐食性がきわめて高い)——鉄は錆びても金は錆びない
錆が文字を守った理由赤錆(Fe₂O₃)の層が鉄剣内部を外気から遮断して金の溝を保護した

剣の鉄は、磁鉄鉱のような鉄の鉱物から作られる。河原で磁石を転がすと黒い粒が吸いつく、あの砂鉄の仲間だ。そう思うと、急に話が近くなる。どこの鉄で、どこで鍛えたかまでは、ここでは言い切らない。

剣から少し離れて、足元の話もしておく。秩父山地は、古生代から中生代の付加体(海の底にたまったものが、プレートで陸に押しつけられてできた地層)でできた山だ。石灰岩、チャート、砂岩、泥岩。荒川の河原に転がるチャートや石灰岩の故郷は、この山になる。

115文字が証明したこと——5世紀の日本の実像

115文字の中身はこうだ。「私(ヲワケ)の先祖は代々、杖刀人首(武人の隊長)を務めてきた。私は獲加多支鹵大王(ワカタケル大王=雄略天皇)に仕え、天下を治めるのを補佐した。辛亥年(471年)7月に、これまでの輝かしい功績を剣に刻んで記念とする。」要するに、自慢だ。1,500年残った自慢は、そう聞かない。

これが大事件になった理由は三つある。大王の名が日本書紀・古事記の人物と一致し、5世紀の年代が決まった。大王の力が関東(武蔵国)まで及んでいたと分かった。8代にわたる先祖の名から、当時の氏族のしくみも見えた。紙ではなく、金属に刻まれた記録が古代史を書き換えた。

鉄と金がなければ、5世紀の大和政権の姿は謎のままだった。地質と考古学が、一本の剣で交わる。河原で石を拾う人間が古墳の剣にここまで肩入れするのは、少し変かもしれない。でも、材料は全部、鉱物だ。

剣を見たあとで地面の話も見たくなったら、長瀞に埼玉県立自然の博物館がある。秩父の地質、変成岩、化石の展示がそろう。岩畳を歩く前に寄っておくと、足元の片岩が、ただの平たい岩ではなくなる。逆の順番だと、もう一度岩畳に戻りたくなる。

石好き次郎
長瀞の岩畳を歩いたとき、足元が全部変成岩だった。日本地質学発祥の地と呼ばれる理由は、立てば分かる。説明はいらない。

「埼玉」という地名の語源——古墳から生まれた県名

稲荷山古墳がある地名は「埼玉(さきたま)」。これが県名の元だ。古くは「前玉(さきたま)」と書き、「先にある霊妙な場所」という意味だという説がある。古墳が集まるこの土地が昔から特別な場所だったことと、名前がつながる。

行田の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)には、5〜7世紀の大型の前方後円墳・円墳が9基集まる。国内でも最大規模の古墳群の一つで、石室・石棺・副葬品が出ている。古墳の上を歩けるのがいい。墓の上なので、靴音くらいは控えめにしたい。

秩父の古生代の石灰岩からは、フズリナ、ウミユリ、サンゴなどの化石が出る。3億年前の海の生き物の殻が、山の石の中に閉じこめられたままだ。海のない県の山で、海を拾う。埼玉の石の、ちょっとした皮肉だ。

三波石(さんばせき)は、埼玉と群馬の県境あたりから出る緑色片岩だ。水石(観賞石)の世界では名の通った産地石で、緑の光沢に長年の愛好家がいる。私が三波石の良し悪しを語ると、たぶん水石の人に叱られる。

三波川変成帯は、群馬の三波川から名前をとった地質帯で、関東から九州まで続く。昔の海の堆積物がプレートの沈み込みで地下に引き込まれ、高い圧力で変成した。緑色片岩を手に取ると、薄い層が何枚も重なり、指でめくれそうに見える。押しつぶされた跡だ。

埼玉で石を拾うなら、長瀞と荒川の河原になる。長瀞の岩畳では結晶片岩・紅簾石片岩・蛇紋岩が見られる。ただ、岩畳は国の名勝・天然記念物で、岩畳そのものからは採れない。見るだけなら、いくらでも見ていい。

拾うのは河原の礫だ。荒川に降りると、上流の秩父帯から流れてきたチャート・石灰岩・砂岩が転がる。赤や緑のチャートは、数億年前の深海に放散虫が積もってできた石だ。荒川は、多摩川と並ぶ私のホームの川でもある。だからこの段落だけ、少し甘い。

紅簾石片岩は、マンガンを含む赤い変成岩で、日本では長瀞が代表的な産地だ。地下20キロで押された岩が、隆起と侵食で地表に出てきた。それが手の届く高さにある。地質の人に言わせると、かなりおかしな状況らしい。

吉見百穴(よしみひゃくあな)は、古墳時代〜奈良時代の横穴墓群で、凝灰岩(ひかわ石)を掘って作られた。掘りやすい石だったから、掘った。理由がこれほど単純な遺跡も珍しい。

項目内容
遺跡名稲荷山古墳(さきたま古墳公園内)
発見1968年 鉄剣出土/1978年 金象嵌115文字を確認
年代5世紀後半(471年製造)
意義大和政権の関東支配を証明
展示埼玉県立さきたま史跡の博物館

秩父の石灰岩は、今も建材やセメントの原料として掘られている。武甲山(ぶこうさん)は石灰石の採掘で山頂部が大きく削られ、その記録は秩父市の武甲山資料館に並ぶ。山の形を変えるほど掘った。石の量の桁が、河原とはまるで違う。

秩父郡皆野町の荒川の河原では、石英・チャート・砂岩が拾える。三峰山まわりの沢では、水晶が見つかることがある。この「ことがある」に、毎回まんまと期待してしまう。

稲荷山古墳の副葬品にも、碧玉や勾玉といった石が使われた。古代の人が、どの石を墓に入れる値打ちがあると思ったか。そこには、今の値札とは別の物差しがある。剣の話の陰で、こちらの石も、もう少し見られていい。

秩父では、中生代の地層からアンモナイトが出ることもある。古生代の石灰岩の海と、中生代のアンモナイトの海。同じ盆地のまわりに、時代の違う海が二つ重なる。埼玉に海はないが、昔の海なら山ほどある。

秩父市の橋立鍾乳洞は、石灰岩が地下水に溶けてできた洞窟だ。石は削られて減るだけでなく、溶けて形を変える。河原で丸くなる石灰岩も、この洞窟の壁も、中身は同じ石だ。削られて丸くなるか、溶けて穴になるか。同じ石の、別の顔だ。

行田には忍城(おしじょう)もある。行田の浮き城と呼ばれ、戦国時代に豊臣秀吉の水攻めに耐えた。守ったのは石垣ではなく、沼と土塁だ。石の記事で、石を使わなかった城を褒めるのも妙な話だが。

錆びる鉄と、錆びない金

石を長く扱ってきた身として、稲荷山の鉄剣は他人事に思えない。金と鉄。性質が正反対の二つの金属が、一本の剣の上で組み合わさって、いまに届いた。

錆が守った、という逆説

金のいいところは、まず錆びないことだ。何年たっても曇らない。鉄はその逆で、油断するとすぐ赤くなる。鉄分の多い石を濡れたまま袋に入れて忘れると、袋の底が茶色くなる。あれと同じことが、剣の上で起きた。

鉄剣の表面は錆びて分厚い層になり、そのおかげで、内側の金の文字は空気から切り離された。錆びる金属が、錆びない金属を包んで1,500年封をした。欠点が、そのまま金庫になった。

金一グラムを、文字に刻むという贅沢

金は今も昔も高い。その金を、5世紀の人間は細い線に延ばし、鉄の溝に一文字ずつ埋めた。115文字。私なら3文字目あたりで、残りの金を数え始める。

金は柔らかく延びるので、髪より細い線にもできる。その性質を分かったうえで、職人はタガネで鉄を彫り、金線を埋めた。素材を知る目と、手の技。原石の前で迷う自分の目と、根っこは同じだと思いたい。少しおこがましいが。

金で文字を刻むのは、ただの記録ではない。「これは残す」という宣言だ。1,500年後に読まれることまで考えていたかは、分からない。考えていたなら、相当な自慢屋だ。

石好きが埼玉で本当に見たいもの

鉄剣もいいが、河原の人間として埼玉で心が動くのは長瀞だ。荒川に削られた岩畳は、緑色片岩が薄く平らに重なる変成岩の露頭(岩がむき出しになった所)だ。地下で押し固められた石の構造が、図鑑の断面図みたいにそのまま見える。

同じ変成帯の三波石は、緑の光沢を持つ観賞石の名石だ。古代の金属と、変成岩の名石。行田と長瀞を一日で回ると、さすがに欲張りな一日になる。

鉄剣の前に立ち、岩畳を歩く。人が金属に刻んだ歴史と、地球が石に刻んだ時間。どちらも電車で行ける距離にあるのが、埼玉のずるいところだ。

石好き次郎
長瀞から離れた荒川の河原で、結晶片岩を拾って帰った。値段のつく石ではない。ただ、地下20キロから上がってきたと思うと、机の上から動かせなくなった。

よくある質問

Q. 金錯銘鉄剣は実際に見られる?
見られる。埼玉県立さきたま史跡の博物館(行田市)に、国宝・金錯銘鉄剣の実物が展示されている。入館料は大人200円、高校生・大学生100円、中学生以下無料。JR高崎線の吹上駅・行田駅、または秩父鉄道の行田市駅からバスかタクシー。博物館は古墳群(国の特別史跡)の中にある。200円で国宝。安すぎて少し心配になる。

Q. 金象嵌の技術はいつから日本にあった?
471年の時点で、すでに高い技術があった。朝鮮半島からの渡来人が持ち込んだとされる。同じころ、朝鮮半島や中国大陸でも金象嵌・銀象嵌が使われていた。古墳時代の金属加工は、思うよりずっと国際的だ。

Q. 子どもと埼玉で石や金属を楽しめる?
楽しめる。鉄剣の前で「なんで金の文字だけ残ったの」と聞くだけで、話が一つできる。長瀞では岩畳を歩けばいい。説明は短いほうが、子どもは長く見ている。

石好き次郎から

埼玉の石の話で、一番好きなのは稲荷山の鉄剣だ。派手なのは金だが、仕事をしたのは錆のほうだ。河原でも、だいたい地味な石のほうが話が長い。

ついでに書いておくと、708年、秩父で自然銅が見つかり、元号が「和銅」になった。石が元号を変えた県だ。荒川の河原でしゃがむとき、それくらいは思い出していい。

石好き次郎
埼玉という県名は、埼玉古墳群の地名から来ている。県の名前の下に、1500年前の墓がある。誰も気にしていないが、私は少しだけ嬉しい。
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荒川のどこでしゃがむかは、埼玉の川原で美しい石を探すで選べる。寄居や熊谷の荒川中流なら、砂岩とチャートが気軽に拾える。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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