
日本の金箔は、約99%が金沢で打たれる。石川の石で一番の有名人は、石ですらない。光が透けるほど薄く叩いた金だ。
地名からして金の話だ。兼六園のそばの湧水「金城霊沢(きんじょうれいたく)」で、芋掘藤五郎が芋を洗ったら砂金が出た。それで「金洗いの沢」、のちの金沢になったという。芋を洗って金が出る。うらやましい沢だ。
職人の腕の前に、まず金という金属の性質がある。ここまで延びてくれる金属は、ほかにない。
石川の地質は、能登半島の火山岩と珪藻土などの堆積岩、金沢の奥の白山山系の花崗岩と変成岩、加賀の海岸の砂岩と礫岩。北と南で、拾える石の顔ぶれがまるでちがう県だ。
兼六園には、各地から集めた景石や灯籠、石造物が並ぶ。庭の石も、だれかが担いできた石だ。どこから来たかを考えながら歩くと、名園が少し汗くさく見えてくる。
この記事は読み物だ。石川の河原や浜で実際に拾うなら、石川県で石を探す|能登の海岸・手取川・白山の地質観察スポットと採集ルールのほうが役に立つ。
金の性質——なぜ1万分の1mmまで延ばせるのか
金は、全金属の中で一番よく延びる。引いても切れず、叩いても割れない。約2gの金を叩き続けると、畳1畳分(約1.8m²)まで広がる。厚さは1万分の1〜2mm(0.1〜0.2マイクロメートル)。光が透けるほど薄くても、ちゃんと金色に光る。
| 金の物性 | 詳細 |
|---|---|
| 延性 | 全金属中最高——1gで約2.8kmの細線に延ばせる |
| 展性 | 全金属中最高——叩いて1m²あたり0.1μmまで薄くできる |
| 耐食性 | 王水以外の酸・アルカリに溶けない——さびない・変色しない |
| 密度 | 19.3g/cm³——鉄の約2.5倍の重さ |
| 融点 | 1,064℃(比較的低い)——加工しやすい |
石川が日本の金箔の約99%を占めるのは、金がよく採れたからではない。技と産業が、ここに集まったからだ。材料より先に、腕が土地に根を張った。
箔打ち禁止令——隠れて打ち続けた加賀
金沢の金箔の歴史で一番おもしろいのは、禁じられていた時代に技が育ったことだ。1696年(元禄9年)、幕府は金銀を管理するため、江戸・京都以外での箔打ちを禁じた。金沢も例外ではない。
ところが加賀藩は、細工所を中心に「隠し打ち」を続けた。名目は「打ち直し」や「銅箔の仕立て」。中身は金箔だ。1864年(元治元年)に藩の御用箔として公認されると、質も量も一気に伸びた。明治維新で江戸箔が消え、金沢箔が全国を押さえた。
北陸の気候が金箔を育てた
金箔職人は「金沢の気候が金箔に向いている」と言う。金は和紙(箔打ち紙)に挟んで叩くが、乾きすぎると紙が割れ、湿りすぎると金が紙に貼りつく。北陸の湿った冬と、ほどよい夏がちょうどいい。紙を漉いて洗うには良い軟水も要り、金沢の水はそれを満たした。
金箔が使われる場所
| 用途 | 具体例 |
|---|---|
| 文化財・寺社修復 | 中尊寺金色堂・日光東照宮・金閣寺・各地の寺院仏堂の修復 |
| 伝統工芸品 | 九谷焼・輪島塗・金沢漆器・加賀蒔絵・金沢仏壇 |
| 仏壇・仏具 | 全国の金仏壇——浄土真宗の信仰の厚い北陸を中心に全国へ |
| 現代の用途 | 食用金箔(金箔入り料理・お酒)・化粧品・インテリア |
中尊寺金色堂、日光東照宮、金閣寺の修復。九谷焼や輪島塗の金。全国の仏壇・仏具の金。そのほとんどが、金沢で打たれた箔だ。日本の金ぴかは、だいたい金沢から来る。
金箔を貼る、石を拾う
金箔を貼る体験なら、「金箔屋さくだ」(東茶屋街近く)、「箔一」(各店舗)、金沢市立安江金箔工芸館などでできる。漆器や皿、スマホケースに貼って1,000〜3,000円程度。箔は指にすぐ貼りつくので、思ったより手こずる。
食用金箔は純金(または金99.9%以上)を薄く延ばしたもので、体内で溶けず消化もされない。金沢では金箔入りの酒や和菓子が名物だ。食べても、腹の足しにはならない。
| 産地・石 | 特徴 |
|---|---|
| 白山(飛騨変成帯・花崗岩) | 変成岩・花崗岩・安山岩 |
| 能登半島 | 新生代の火山岩・堆積岩(珪藻土など) |
| 手取川流域 | 砂金・変成岩礫・花崗岩礫 |
| 加賀温泉地帯 | 温泉析出鉱物・石灰華 |
| 金沢の金箔 | 金(Au)を1万分の1mmに加工 |
輪島市周辺の海岸では、日本海の波に磨かれたメノウ・チャート・砂岩の礫が拾える。金の話ばかりの県で、ちゃんと石の話ができる浜だ。
手取川の流域には、砂金の採取記録がある。加賀藩の領内には金山もあった。地名の由来が砂金の県なら、川で皿を振るのは筋が通る。金箔の都の足元にも、本物の金は少しはある。
石川で石を拾うなら、まず手取川(白山市・鶴来周辺)。白山山系の花崗岩・変成岩・石英が、平野の河原で足元まで下りてくる。次が能登の輪島・珠洲の海岸で、メノウやチャートが拾える。加賀温泉郷のまわりなら、安山岩や凝灰岩の礫だ。金沢の街なかなら、犀川と浅野川にも白山系の礫が転がる。
金沢は工芸の街だが、裏から見ると石の街だ。金箔は金、九谷焼は小松市の花坂などで採れる陶石、輪島塗の下地は珪藻土。金沢城の石垣も、近くの戸室山から切り出した戸室石(安山岩)で積まれる。百万石の華やかさも、根っこは足元の石だ。
2024年1月1日の能登半島地震(最大震度7)は、能登の地質構造(逆断層)が起こした。地面が動くことを、石好きは本の知識として知る。輪島や珠洲では、塩田や漆器の暮らしを立て直す人たちがいる。本の知識は、そこでは何の役にも立たない。
石川の海岸は、北と南で別物だ。能登の岩礁や礫浜は、火山岩や堆積岩が日本海の波に削られたもので、安山岩や砂岩・泥岩に珪藻土まで混ざる。加賀の砂浜は、手取川が運んだ白山の砂礫。同じ県の海でも、石の出どころがちがう。
能登の西海岸(輪島市・志賀町)の岩場には、火山岩や凝灰岩が顔を出す。浜でメノウを探すついでに、岩場の顔も見ておく。
加賀市・小松市の砂浜には、白山から来た砂礫がたまり、砂鉄(磁鉄鉱の砂)が混じることがある。磁石を持っていけば、砂から砂鉄が集められる。金は見つからなくても、黒い砂はちゃんと寄ってくる。
教科書の「延性が高い」の一行も、金箔を一枚見れば腑に落ちる。字で読むのと目の前で見るのとでは、重さがちがう。

砂金の沢が、金箔の都になるまで
石の商いで、光る物は人並み以上に見てきたつもりだ。それでも金沢の金箔には参る。金を、光が透けるまで叩く。金という金属の限界を、人の手で引き出した仕事だ。
1グラムで3キロ
厚さは1万分の1mmほど。金は1gで約2,800mの細い線にまで延ばせる。ほぼ3km。数字だけ見ると、何かの書き間違いに見える。銀も延びるが、金にはかなわない。
金箔を光にかざすと、透けた光が緑色に見えるという。金の電子の並び方による性質だ。金を透かすと緑。これは一度、自分の目で確かめたい。
禁じられたから、技が育った
堂々と作れなかった時代が、金沢を金箔の都にした。制約が技を鍛える話はよくあるが、170年近く隠れて打ち続けたとなると、もう根性の話だ。
金と腕と、北陸の空
金箔は、金の性質と、土地の湿り気と、人の腕の三つでできる。どれが欠けても箔にはならない。砂金の伝説で名がついた街が、金箔の都になった。偶然と呼ぶには、出来すぎだ。
よくある質問
Q. 子供と金沢で金箔を楽しめる?
楽しめる。貼る体験は子どもにも分かりやすい。「なんで金は錆びないの」と聞かれたら、とても安定した金属だから何百年たっても光る、で間に合う。
石好き次郎から
2グラムの金が、畳1畳分に広がる。この数字は、何度見ても慣れない。
打ち紙という和紙に挟んで叩く。この紙の出来が、仕上がりを決める。紙を仕込むだけで、数か月かかる。金より先に、紙で勝負がつく。
材料より人。石の世界でも、最後はたいていそこに落ち着く。


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