徳島の石のおもしろさは、色にある。この県には「二つの青」がある。藍(あい)と、青石(あおいし)だ。片方は畑で育ち、片方は地下から上がってきた。
青石は、正式には緑泥片岩(りょくでいへんがん)、または緑色片岩。徳島のものを「阿波青石(あわあおいし)」と呼ぶ。徳島城のある城山、眉山、吉野川の中流まで広く出て、「山全体が青石」と言われるほど身近な石になる。濡れると青みが出て、板のように割れる。この割れ方が、古くから建材や石器に使われた理由だ。
大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)の渓谷は、断崖も川底も三波川変成帯の片岩だ。中ほどは灰色の砂質片岩や礫質片岩で、外側へ行くと青石(緑色片岩)が出てくる。水に削られてつるりとした岩が、晴れた日には青緑の水面と一緒に光る。地質の言葉で言えば「三波川変成帯の断面」。それを、川が勝手に磨いて見せてくれる。
三波川変成帯は、海の底の堆積物がプレートの沈み込みで地下40kmまで引きずり込まれ、約12,000気圧・数百℃で変成した岩の帯だ。圧力は桁外れなのに、温度はそれほど上がらない。この妙な取り合わせが、あの青緑を作った。
その青石は、徳島の寺社や城、石垣にも積まれてきた。地下40kmから来た石が、町の石垣に収まる。出世なのか左遷なのか、よく分からない。
徳島の地質は、北から三波川変成帯(高圧変成岩)、秩父帯(古生代〜中生代の付加体)、四万十帯(白亜紀〜古第三紀の付加体)と、三本の帯が並ぶ。県を南北に縦断すると、石の顔が順番に入れ替わる。
三波川変成帯は四国の北を東西に横切り、徳島・高知・愛媛の三県に青石が出る。山を越えても、同じ石が待つ。
徳島で石を拾いに行くなら、行き先は徳島で石を拾える場所はある?眉山の紅簾石片岩と、吉野川の阿波の青石にまとめた。ここでは、石が残した徳島の歴史をたどる。
三波川変成帯——地下40kmの石が地表に出た理由
阿波青石を生んだのは、三波川変成帯(さんばがわへんせいたい)だ。中央構造線の南側を、関東から四国、九州まで細長く延びる変成岩の帯になる。
| 三波川変成帯と阿波青石の地質 | 詳細 |
|---|---|
| 変成の条件 | 深さ20〜40km・温度300〜500℃——「低温高圧変成」 |
| 主な鉱物 | 緑泥石(クロライト)・藍閃石・緑簾石などの緑色鉱物 |
| 特徴 | 板状に割れやすい(劈開性)・濡れると青緑に輝く |
| 成因 | プレートの沈み込みで岩石が地下深くに引きずり込まれ変成→隆起して地表へ |
| 分布 | 中央構造線の南側——徳島・高知・愛媛・近畿・関東まで連続 |
ふつう、深く沈めば岩は熱くなる。三波川変成帯の岩は、温度が上がる前に深く引きずり込まれた。だから緑泥石や藍閃石のような、緑や青の鉱物ができた。熱が追いつく前に沈んだ石だけが、この色になる。
青や緑の片岩が、三波川変成帯の主役だ。大歩危の渓谷の壁は、プレートが沈み込んだ証拠そのもの。証拠が、観光地の顔をして立つ。
青石の緑は、緑泥石や緑閃石の色だ。もとは海洋地殻の玄武岩で、高圧・低温で変成するとこの鉱物ができる。海の底の溶岩が、押しつぶされて緑になった。
三波川変成帯は、関東から九州まで続く。長瀞(埼玉)の結晶片岩も、同じ帯の石だ。産地が何百キロ離れても、同じ帯の石は似た顔をする。遠い親戚に、知らない町で会うようなものだ。
阿波青石が大阪の古墳に運ばれた——古墳時代の石の交易
阿波青石は、古代から遠くへ運ばれた。大阪府の牧野車塚古墳・闘鶏山古墳、神戸市の西求女塚古墳で、阿波産の青石が石室や葺石に使われたことが発掘調査で分かった。板に割れる石は、石棺や石室にちょうどいい。重い石を運ぶだけの理由があった。
徳島城の石垣には、青石と砂岩が混ざって積まれる。青い石だけを目で追って石垣を眺めるのは、城好きとは別の楽しみ方だ。

藍師の「城構え」——青石が阿波藍文化を支えた
江戸から明治にかけて、徳島は阿波藍で全国の藍の大半を握る「藍の国」だった。藍師の屋敷は吉野川の氾濫に備えて青石の石垣を高く積み、「城構え(しろがまえ)」と呼ばれた。資力のある藍師ほど、石垣が高い。財布の厚さが、石の高さで見える。
藍の青が、石の青に守られていた。徳島の「二つの青」は、ここで一つの景色になる。
吉野川から阿南の浜まで——徳島で拾える石
三波川変成帯では、藍晶石(カイヤナイト)が出ることもある。地下深くの高い圧力をくぐった証拠の鉱物だ。「出ることもある」の「も」に、石好きは弱い。
| 地質・石 | 特徴 |
|---|---|
| 三波川結晶片岩(青石) | 地下40km・高圧変成・大歩危渓谷の主役 |
| 緑色片岩(グリーンシスト) | 緑泥石・アクチノ閃石を含む低変成度片岩 |
| 藍晶石(カイヤナイト) | 高圧変成の証拠鉱物・片岩中に産出 |
| チャート(放散虫岩) | 秩父帯に分布する古生代〜中生代の海洋記録 |
| 四万十帯の砂岩・泥岩 | 白亜紀〜古第三紀の付加体(タービダイト) |
吉野川(四国三郎)は四国山地を横切って流れるので、三波川変成帯の変成岩と、秩父帯の砂岩・石灰岩・チャートがひとつの河原にそろう。「四国の地質の縮図」と呼ばれる川だ。地質図を眺めるより、河原で一個ずつ裏返したほうが話が早い。
阿波青石を拾うなら、吉野川の中流域より下がいい。渓谷で見上げた石が、礫になって流れ着く。乾いた河原では地味な緑に沈んでいるので、怪しい石は水に浸けてみる。青が浮けば当たりだ。
阿波の青石は、庭石・石垣・建材として古くから使われてきた。徳島では、庭や石垣の中に青い石を探すだけでも一日つぶせる。拾えなくても、見つける楽しみは残る。
鳴門の渦潮は、海峡の地形が作る潮の速さの産物だ。その海峡の岩盤は、和泉層群の砂岩・泥岩でできている。渦を見に行く人は多いが、渦の下の岩まで気にする人は少ない。
大歩危・小歩危は国の天然記念物で、国定公園の中にもある。ここは見る場所で、石は拾わない。拾うのは、その下流の吉野川の河原だ。峡谷は増水すると立入禁止になる区域もあるので、水の多い日は近づかない。
祖谷渓(いやけい)は、吉野川の支流・祖谷川が三波川変成帯の結晶片岩を削った谷だ。日本三大秘境の一つと呼ばれ、かずら橋から見下ろす岩盤も結晶片岩。河原には片岩の礫が転がる。
吉野川は、四国山地の変成岩を何百万年もかけて削り、礫にして平野まで運んできた。河原の一個は、その長い運搬の途中の荷物だ。拾うのは、配達の途中で一個だけ受け取るようなものだと思う。
南の那賀川(なかがわ)では、四万十帯の砂岩・泥岩・チャートが拾える。青石とは別の、白亜紀の付加体の石だ。青に目が慣れたら、南へ行けばいい。
那賀川の上流、木沢・上那賀のあたりは「四国の秘境」と呼ばれる渓谷だ。秩父帯から四万十帯を流れるので、石灰岩・チャート・砂岩が拾える。石を拾いに来たのか、景色を見に来たのか、途中で分からなくなる場所だ。
阿南市の海岸の礫浜には、砂岩・変成岩・チャートが混ざる。四国の付加体(四万十帯・秩父帯)の礫が、海流で寄せ集められた浜だ。川で拾い損ねた色が、浜でもう一度回ってくる。
道の駅大歩危の石の博物館(三好市)には、三波川変成帯の資料と標本がそろう。徳島県立博物館にも三波川変成帯の鉱物・岩石の標本がある。河原に下りる前に一度見ておくと、迷う時間が減る。
三波川変成帯は、高い圧力と低い温度でできた変成岩の見本として、世界中で研究されてきた帯だ。研究室の主役が、吉野川では足元に転がる。
阿波の青石は、濡れると目を覚ます
阿波青石を初めて見たとき、色が信じられなかった。日本にこんな青緑の石があるのかと驚いた。しかもこの石は、地球の深いところを往復してきた。石の来歴を追う癖のある人間にとって、これほど数奇な履歴は、なかなか見当たらない。
地下四十キロの旅をした石
石を見るとき、私は「この石がどこから来たか」を考える。伊豆の海底火山の石でさえ、横の移動だった。阿波青石は、地下四十キロまで潜って戻ってきた。縦の旅をした石だ。大歩危の川底に転がるのは、その往復を終えた石だ。そう思うと、ただの岩に、少し頭を下げたくなる。
割れやすさが、価値を作った
阿波青石は、板のようにきれいに割れる。高圧で押しつぶされ、鉱物が一方向に並んだからだ。この割れやすさが、石の運命を決めた。
石を長く扱ううちに、性質が使い道を決める場面に何度も出くわした。硬い石、軟らかい石、割れやすい石。阿波青石は「きれいで、平らに割れる」の二つで、古墳の時代から人に選ばれてきた。割れやすさは欠点ではなかった。就職先だった。
二つの青が重なる土地
植物の青と鉱物の青が、同じ土地の文化を作った。この重なりが、私には面白くてならない。青石が、藍の富を陰で守っていた。主役は藍で、青石は裏方。裏方にばかり目が行くのは、石好きの悪い癖だ。

よくある質問
Q. 大歩危・小歩危の岩を見に行くには?
遊覧船がいちばん手軽だ。JR土讃線の大歩危駅から歩くか、大歩危峡観光遊覧船(30分コース)に乗れば、川底と断崖の片岩を間近に見られる。冬も運航し、1〜2月はこたつ船になる。
Q. 子どもと楽しめる?
楽しめる。青石は、濡れると色が変わる石だ。理屈を話すより先に一緒に水をかけてみると、子どもの顔のほうが先に変わる。
Q. どう巡ればいい?
見る、見る、拾うの順だ。大歩危・小歩危で片岩の渓谷を眺め、藍師の城構えの石垣を見て、最後に吉野川で礫を拾う。目を慣らしてから河原に下りると、青石が見つけやすい。
石好き次郎から
阿波の青石は、三波川変成帯の緑色片岩だ。プレートの沈み込みで、高い圧力と低い温度の中で姿を変えた。説明すれば、これで終わる。終わらないのは、色のほうだ。
祖谷渓の断崖も、この変成岩でできている。硬いから、川が削っても垂直の崖が残る。柔らかい石なら、谷はとっくに広がっていた。硬い石は、景色を長持ちさせる。


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