
1616年(元和2年)、朝鮮人陶工・李参平が有田泉山で磁器の原料「陶石(とうせき)」を発見した。
それまでの日本には磁器がなかった。瀬戸・常滑・備前・丹波——どれも「陶器」だ。中国・景徳鎮が生む白く薄い磁器に日本の職人は及ばなかった。その差は「土の差」だった——磁器には陶石(ケイ酸を多く含む変質流紋岩)が必要で、日本にはその原料が見つかっていなかったのだ。
李参平は20代で朝鮮から日本に連れてこられた陶工だった。鍋島藩の多久家に預けられ、焼き物の土を求めて鍋島領内を転々とした。「白磁に適した土」を求めて何年も歩き続け、最後にたどり着いた有田・泉山の山肌に——白い石があった。
その石を使って焼いた器が、日本初の磁器だった。有田焼400年の歴史はここから始まった。
有田焼は1616年、朝鮮人陶工・李参平が泉山で白い石を見つけたことで始まった。その石の正体は「変質流紋岩火砕岩」——花崗岩が熱水変質を受けてケイ酸が濃縮した石だ。石が何者であるかを知ってから有田焼を見ると、全く違って見える。
有田磁器の原料「陶石(とうせき)」は花崗岩の風化でできた白色の石英・長石・カオリナイトの混合鉱物だ。泉山陶石(SiO₂約70%・Al₂O₃約20%)は高温(1250〜1300℃)で焼結して磁器の「透明感・白さ・硬度」を生む。花崗岩が何百万年もかけて変質した先に、あの白磁がある。
泉山磁石場に立つと、山が大きく削られた採掘跡がある。李参平が1616年に掘り始めてから400年——この山の白い石が全て有田焼になった。現在の採掘はほぼ終わり、原料は天草陶石に移っている。「掘り尽くした山」の前に立つと、400年の重さが来る。
佐賀の地質は変化に富む。東松浦半島の玄武岩台地・脊振山地の花崗岩と変成岩・有田〜伊万里周辺の花崗岩風化陶石・有明海の沖積平野——この組み合わせが、磁器の原料産地として成立する条件を作った。
有田焼は伊万里港から「IMARI」の名でヨーロッパに輸出された。陶石→磁器→世界輸出——石見銀山の「銀鉱石→銀→世界貿易」と同じ構造が有田でも起きた。一つの石の発見が産業になり、ヨーロッパの食卓を変えた。
陶石とは——磁器と陶器を分ける「石の差」
陶器と磁器の違いを一言で言うと「原料の石の違い」だ。陶器は粘土(アルミナ・鉄分を含む)を使い、1,000〜1,200℃で焼く。磁器は陶石(ケイ酸=SiO₂を多く含む変質流紋岩)を粉砕した原料を使い、1,300℃前後の高温で焼く。高温でケイ酸が溶けてガラス質になることで、あの白く透き通る磁器の質感が生まれる。
| 項目 | 陶器 | 磁器 |
|---|---|---|
| 原料 | 粘土(アルミナ・鉄分含む) | 陶石(ケイ酸を多く含む) |
| 焼成温度 | 1,000〜1,200℃ | 1,280〜1,300℃ |
| 質感 | ざらっとした土の質感・不透明 | ガラス質・白く薄い・半透明 |
| 叩いた音 | 鈍い音 | 澄んだ金属音に近い |
| 日本の代表例 | 備前焼・萩焼・丹波焼 | 有田焼・九谷焼・波佐見焼 |
「陶石がなければ磁器は作れない」——李参平が泉山で見つけた白い石の正体は「変質流紋岩火砕岩」という地質学的名称を持つ岩石だ。流紋岩質の火山岩が熱水変質を受けてケイ酸が濃縮した石で、これを粉砕・精製することで磁器の原料になる。
李参平の旅——朝鮮から有田泉山まで
16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は、多くの朝鮮の陶工を日本に連れ帰った。鍋島直茂に伴われて佐賀の地に来た李参平も、その一人だ。当初は鍋島藩の老中・多久家に預けられ、焼き物の土を求めて鍋島領内を転々とした。
白磁に適した原料を求めて何年も歩き続けた末、有田西部・乱橋(現三代橋)に辿り着き登り窯を築いた。陶器と磁器を同時に焼いた形跡が残る——「白磁はあきらめていなかった」証拠だ。そしてついに有田東部・泉山で良質な白磁鉱を発見。近くの上白川・天狗谷窯で日本初の白磁を焼いた。1616年、鍋島直茂公に磁器を献上——有田焼の始まりだ。
李参平は1655年(明暦元年)に亡くなるまで有田に留まり、磁器生産の中心人物として陶工集団120名以上を統括した。死後3年後の1658年、有田皿山代官の命で「陶山神社(すえやまじんじゃ)」が建てられ、李参平を陶工神として祭った。
有田町の丘には「陶祖碑」が立ち、今も毎年5月4日に「陶祖祭」が行われている——韓国と日本の関係者が共に参列するこの祭は、石一つの発見が400年以上続く文化を生んだ証だ。現在、李参平の子孫は14代まで続き、作陶を続けている。

有田焼がヨーロッパへ——123万個の陶石製品
17世紀中頃、中国の政変(明から清への王朝交代)で景徳鎮の磁器が買えなくなったヨーロッパの貿易商たちは日本に目を向けた。VOC(東インド会社)を通じて有田焼の輸出が始まり、慶安3年(1650年)から宝暦7年(1757年)の間に、公式記録だけで123万個の有田焼(肥前磁器)がヨーロッパに輸出されている。
ヨーロッパの王侯貴族は有田焼に魅了された。「イマリ(伊万里)」という名でヨーロッパに広まり、ドイツのマイセン・フランスのセーブル——後に生まれるヨーロッパの磁器は有田焼の技術を追いかけて生まれた。佐賀県有田町の泉山の白い石が、ヨーロッパの陶磁器文化を変えた。
泉山磁石場——400年掘り続けた山の今
有田町内・泉山にある泉山磁石場(国指定史跡)は、李参平が1616年に陶石を発見してから400年以上掘り続けられた採石場だ。山がごっそりと削られた巨大な採掘跡は、「この石から400年分の有田焼が生まれた」という歴史の重さを全身で感じさせる。
現在の採掘はほとんど行われておらず、有田焼の原料には主に熊本県・天草の陶石が使われている。泉山の陶石は「掘り尽くした」に近い状態だ。400年で一つの山が産業原料を使い尽くした——石が陶器になり、焼き物になり、ヨーロッパの王侯貴族の食卓を飾り続けた400年間の物語が、この採掘跡に刻まれている。通常は柵で囲まれているが外観の見学は可能だ(有田町観光案内所への問い合わせ推奨)。
有田焼の種類と石の関係
| 様式名 | 特徴 | 時代 |
|---|---|---|
| 初期伊万里 | 素朴で余白を生かした作風。朝鮮陶工の感性と中国絵柄の融合 | 17世紀前半 |
| 古九谷様式 | 青・黄・緑を基調とした色絵磁器。かつて加賀産とされたが有田産と判明 | 17世紀中頃 |
| 柿右衛門様式 | 乳白色の生地に上品な赤を主調。輸出向け最高級品 | 17世紀後半〜 |
| 鍋島様式 | 藩窯で焼いた藩主・将軍への献上品。最高品質の泉山陶石使用 | 17世紀後半〜 |
よくある質問
Q. 有田焼と伊万里焼は別物ですか?
同じものだ。有田で焼かれた磁器が伊万里港から積み出されたため、海外(特にヨーロッパ)では「伊万里(IMARI)」という名で知られた。現在でも「伊万里・有田焼」と並記される場合が多い。産地は有田町、積み出し港は伊万里港という関係だ。
Q. マイセン磁器と有田焼の関係は?
18世紀初頭、ヨーロッパで磁器の製法が判明するまで、有田焼(伊万里)はヨーロッパ唯一の白磁として王侯貴族に珍重された。ドイツのマイセン(1710年創業・ヨーロッパ初の磁器製造所)も有田焼の磁器を研究・模倣する中で生まれている。
Q. 現在の有田焼の原料は何ですか?
泉山の陶石はほぼ掘り尽くされており、現在は主に熊本県・天草の陶石が使われている。天草陶石は有田焼・九谷焼・波佐見焼など九州〜西日本の磁器産地で広く使用されている。

有田焼・佐賀の地質ガイド——石好き次郎が解説する磁器石の地質と日本磁器文化400年
| 地質・石材料 | 有田焼との関係 |
|---|---|
| 泉山陶石(磁器石) | 有田焼の原料・花崗岩風化の石英・長石・カオリナイト混合物 |
| 石英(SiO₂) | 磁器の骨格・焼成時に透明感・硬度を生む |
| 長石(フェルドスパー) | 高温で溶融し磁器粒子を結合・透明ガラス質を生む |
| カオリナイト(高嶺石) | 磁器の可塑性(成形性)を生む粘土鉱物 |
| 東松浦玄武岩 | 佐賀北部の玄武岩台地・有明海と玄界灘の地質境界 |
陶石の鉱物学——磁器の原料となる石の科学
陶石は花崗岩(SiO₂65〜70%・Al₂O₃15〜17%)の長石・雲母が加水分解でカオリナイト(Al₂Si₂O₅(OH)₄)に変質した岩石だ。花崗岩が水と空気に触れて何百万年もかけて変質した先に陶石がある——その過程を知ると、有田焼の一枚の皿が少し違って見えてくる。
白磁の白さの秘密——石英とカオリナイトの融合
有田焼の白磁の白さは石英とカオリナイトが1250〜1300℃で焼結した結果だ。鉄分が少ないほど白くなる——だから高純度の陶石を求めて李参平は何年も歩き続けた。白磁の白には、地質学的な必然がある。
佐賀県北部の東松浦半島は玄武岩台地だ。有田〜伊万里の花崗岩風化帯から車で1時間足らずで玄武岩の台地に着く。同じ佐賀でこれだけ岩石の種類が変わる——一日で花崗岩系と火山岩系の両方を見られる県だ。
絵付けの色は鉱物——コバルト・マンガン・銅
有田焼の絵付けにはコバルト青・マンガン赤・銅緑等の鉱物顔料が使われる。青はコバルト、赤はマンガン、緑は銅——色の数だけ鉱物がある。美術館で有田焼を見るとき、この知識があると全く違う見え方になる。
有田ポーセリンパークでは陶石の原石を実際に見ることができる。白い岩石が磁器の原料だと確認してから有田焼を手にすると、「この皿はあの石から来た」という実感が生まれる。
名護屋城(肥前)の石垣には東松浦の玄武岩と脊振山地の花崗岩が混在している。豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点として急造された城——石垣を見ながら「どこから運んだか」を考えると、佐賀の地質と歴史が重なって見える。
嬉野温泉は花崗岩地帯の地熱から生じる温泉だ。有田焼の陶石も同じ花崗岩帯の風化物——磁器を作る石と温泉を生む地熱は、同じ花崗岩体の産物だ。嬉野で湯に浸かりながら有田の磁器を手にするのが、佐賀の石好きとしての贅沢な過ごし方だ。
有田焼の釉薬は長石・石英・灰が高温で溶融したガラス質の层だ。SiO₂・CaO・K₂O・Al₂O₃——釉薬の成分は全て地球の鉱物から来ている。素地も釉薬も鉱物だという視点で有田焼を見ると、美術品というより地質の結晶に見えてくる。
多久市周辺は花崗岩の産地で、有田焼の陶石産地と同じ地質帯にある。佐賀の花崗岩地帯はひとつながりで——その中の特定の場所だけが磁器に適した陶石に変質していた。李参平はその場所を自分の足で見つけた。
石好きが佐賀を回るなら:泉山磁石場(陶石産地)→有田磁器博物館→嬉野温泉(花崗岩地帯の温泉)→名護屋城(石垣の岩種観察)→東松浦玄武岩台地。陶石・磁器・温泉・城郭・火山岩が一日で揃う。
有田焼の原料の地質・焼成の鉱物化学・釉薬の化学——この三つを知ってから有田焼を手にすると見え方が変わる。泉山で石を見て、有田で磁器を手にする。それだけでいい。
石見銀山(銀・世界史)・別子銅山(銅・近代日本)・有田焼(陶石・磁器文化)——三つ並べると「石が産業を作った」パターンの多様さがよくわかる。銀・銅・陶石、それぞれ全く違う物語になる。同じテーマで三通りの答えが一国内にある。
有田焼(ありたやき)の原料は「陶石(とうせき)」と呼ばれる白色の岩石だ。有田町周辺に分布する陶石は長石・石英・カオリナイト(高嶺土)を含む火山岩の変質産物で、磁器の白い色と硬さの両方を生み出す。1616年に朝鮮陶工の李参平(りさんぺい)が泉山(いずみやま)で良質な陶石を発見したことが、有田焼400年の歴史の出発点だ。
泉山磁石場(いずみやまじせきば)は1655年から1978年まで採掘が続いた日本最古の磁器原料採石場で、今も白い崖面が残っている。有田を訪れたら、まずここに行くことを勧める。白い崖に手を当てると、400年前にここから採掘された石が有田焼になったという事実がリアルに迫ってくる。産地を踏むことで、手元の器の意味が変わる。
有田町周辺の地質は白亜紀の流紋岩・安山岩・凝灰岩が分布しており、これらの火山岩が長い時間をかけて熱水変質することでカオリナイト(高嶺土)や長石が生成された。有田陶石の白さはカオリナイトの純度、硬さは石英の含有量、焼成後の透明感は長石の比率で決まる。地質が品質を決めている——その典型例が有田焼だ。
有田焼の釉薬(ゆうやく)も岩石・鉱物からできている。主成分は長石・石英・石灰石(CaCO₃)で、1200〜1300℃で焼くと溶けてガラス質になり器の表面を覆う。有田焼の白い器の光沢は長石釉が均一に溶けた結果だ。「長石がガラスになって器の肌になった」という鉱物学的プロセスを意識すると、有田焼を見る目が変わる。
佐賀県は背振山地(せふりさんち)の花崗岩・変成岩が石好きのフィールドになる。嘉瀬川(かせがわ)の河原では花崗岩・変成岩・砂岩の礫が採集でき、有田の陶石(火山岩変質物)とは全く異なる深成岩の地質を体感できる。吉野ヶ里歴史公園の弥生遺跡では砂岩・頁岩・安山岩の磨製石器が出土しており、佐賀の石文化の古代層も興味深い。
有明海(ありあけかい)は干満差が日本最大(約6m)の浅い海で、有明粘土と呼ばれる独特の粘土が堆積している。この粘土は九州山地の花崗岩・変成岩が風化した粒子が川で運ばれて沈殿したものだ。山の地質が海の堆積物になる。
佐賀の石好き旅程:泉山磁石場(陶石産地・崖の観察)→有田陶磁器美術館(磁器と地質の展示)→嘉瀬川(花崗岩礫採集)→吉野ヶ里歴史公園(弥生の石器観察)→武雄温泉(花崗岩地質の温泉体験)。有田焼の白い器が地質の産物だという視点を持って歩くと、佐賀の旅は全く違う深さになる。
石を扱う者として見た「有田の陶石」
有田焼の白い器を、石の視点で見ると印象が一変する。あの滑らかな磁器は、もとをたどれば砕いた石だ。陶石という白い岩を粉にし、水で練り、高温で焼き固めたものが磁器になる。石を扱う立場から言えば、有田は「石が器に姿を変えた土地」であり、鉱物と暮らしが最も近づく場所の一つだ。宝石とは別の形で、石が人の役に立った歴史がここにある。
磁器は「砕いた石」でできている
陶器と磁器の違いは、原料の石の差にある。磁器は陶石という特定の石を主原料にし、高温で焼くと白く硬く、光を通すほど緻密になる。土から作る陶器とは出発点からして違う。有田焼が薄く白く澄んで見えるのは、原料の陶石そのものの性質だ。器の美しさの半分は、石が決めている。
食器棚に並ぶ白い磁器が、実は砕いた鉱物だと知ると、身近な器の見え方が変わる。石を粉にして再び固め、火で別のものに作り替える——磁器づくりは、人間が石を最も大胆に扱う技術の一つだ。石好きの目で有田焼を眺めると、器の白さの奥に、原料になった山の石が透けて見えてくる。
泉山磁石場——四百年掘り続けた石の山
有田の陶石は、泉山という一つの山からほぼ四百年にわたって掘り出された。李参平が良質な陶石を見つけたことで有田焼が始まり、その山が日本磁器の原料を供給し続けた。一つの石の山が、地域の産業と文化をまるごと生んだ。石が土地の運命を決めた例として、泉山は分かりやすい。
石を扱う者として有田を歩く
有田を歩くと、原料の山、窯元、白い器という「石から製品まで」の流れが一つの町に収まる。原石がどう砕かれ、どう焼かれ、どんな器になったか——その全工程を追えるのは、石好きにとって贅沢な体験だ。磨いた宝石とは別の意味で、有田は「石が人の暮らしを作る」現場を見せてくれる。
有田焼・佐賀の陶石のFAQ
Q. 磁器と陶器は何が違うの?
A. 主な原料と焼成温度が違います。磁器は陶石を主原料に高温で焼き、白く硬く、光を通すほど緻密になります。土を主体にする陶器より、原料の石の性質が仕上がりを大きく左右します。
Q. 陶石ってどんな石?
A. 磁器の原料になる白っぽい岩石で、砕いて粉にして使います。有田では泉山産の陶石が用いられ、良質な陶石が有田焼の白さと硬さを支えました。石の質が、そのまま器の質につながります。
Q. 有田焼はなぜ世界に広まったの?
A. 白く精緻な磁器がヨーロッパで高く評価され、大量に輸出されたためです。当時の東アジアの磁器は憧れの品で、有田の陶石から生まれた器が海を越えて各地の宮廷を飾りました。
Q. 泉山磁石場は今も見学できる?
A. 史跡として整備され、四百年掘り続けた山の姿を見ることができます。掘り尽くされた岩肌は、有田焼の歴史そのものです。訪れる際は現地の案内やルールに従ってください。
Q. 李参平とはどんな人?
A. 朝鮮から渡り、有田で良質な陶石を見出したと伝わる陶工です。彼の発見が有田焼の始まりとされ、日本の磁器文化の礎になりました。石を見つける目が、一つの産業を生んだ例です。
Q. 佐賀で陶石以外の石の見どころは?
A. 有田を中心とした窯業地帯そのものが、石が文化になった現場です。原料の山から窯元、器までを一つの地域でたどれます。石が暮らしに姿を変える流れを体感できる、独特の土地です。
Q. 有田焼にはどんな種類があるの?
A. 白磁や染付、色絵など多彩な様式があります。いずれも陶石から作られる白い素地が土台で、その上に藍や色絵の装飾が施されます。同じ陶石から、実に幅広い表情の器が生まれます。
Q. 磁器はなぜ光を通すの?
A. 高温で焼くことで素地が緻密なガラス質になり、薄い部分が光を透すからです。陶石を主原料に高温で焼く磁器ならではの性質で、土主体の陶器では出にくい特徴です。器を光にかざすと、原料の石の緻密さがそのまま実感できます。
Q. 有田で窯元やろくろの見学はできる?
A. 見学や体験を受け付ける窯元や施設があります。原料の陶石から成形、焼成、絵付けまでの工程を間近で見られます。石が器へと姿を変えていく流れを実際に追えるので、訪問前に各施設の受け入れ状況を確認すると安心です。
Q. 陶石の質は器にどう影響する?
A. 白さ・硬さ・透光性を大きく左右します。良質な陶石ほど白く緻密な器になり、雑味の少ない澄んだ仕上がりになります。有田焼の品質の土台は原料の陶石の質にあり、産地の石が器の美しさをそのまま決めていると言えます。
石好き次郎から
有田焼の原料は、泉山陶石だ。1616年、李参平が発見した。日本で初めて磁器が焼けるようになった。
陶石は、風化した流紋岩だ。カオリンと石英と長石を含む。これだけで磁器になる。粘土を混ぜる必要がない。
磁器は、1,300度で焼く。陶器より高温だ。だから硬く、水を通さない。透光性も出る。
有田の磁器は、オランダ商館を通じてヨーロッパに輸出された。マイセンが模倣した。石が、大陸をまたいだ。



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