加藤清正の石垣と、熊本の二度の地震——熊本城と武者返し、石垣が語る戦国の知恵

熊本の石と地質——産地の歴史写真

2016年の熊本地震で、熊本城の石垣は多くが崩れた。それでも加藤清正の時代に積まれた部分は、後の時代に補修した部分より残ったという報告がある。

熊本の石は、噴火が作った。城の石垣も、古墳の棺も、もとをたどれば阿蘇の火砕流だ。9万年前の噴火では、火砕流が山口県まで届き、火山灰は1,700km以上離れた北海道東部でも地層に残る。

阿蘇のカルデラは東西18km・南北25km。大きいが、世界一ではない。陥没カルデラの世界最大はインドネシアのトバで、国内でも北海道の屈斜路のほうが大きい。阿蘇の自慢は、広さより中身にある。

できたのは約27万年前〜9万年前、4回の超巨大噴火のあとだ。マグマが抜けた地下の空洞に、地面が落ちた。その穴の底に、いま約5万人が暮らし、田畑も鉄道もある。活火山の落とし穴に、町がある。

その噴火が残した石のひとつが「阿蘇ピンク石(馬門石)」だ。桃色の溶結凝灰岩で、古墳時代にはヤマト王権の石棺材として熊本から近畿まで運ばれた。桃色の石が、権力の印になった。

県全体で見ると、北に阿蘇の火山岩、南の球磨川流域にチャートや砂岩の古い地層、西の天草に砂岩と石灰岩。火山だけの県だと思って来ると、半分見落とす。

球磨川は日本三大急流のひとつだ。人吉盆地あたりの河原には、九州山地から来たチャート・砂岩・石灰岩の礫が並ぶ。急流にもまれたぶん、形のいい石が多い。角の取れ方を見るだけで、半日つぶれる川だ。

天草の礫浜には、砂岩・石灰岩・流紋岩が混ざる。数歩ごとに、足元の顔ぶれが変わる浜だ。

この記事は読み物だ。熊本の河原や浜で実際に拾うなら、熊本で石を探す|乙女河原・球磨川・阿蘇、火山と変成岩の県を歩くのほうが役に立つ。

目次

カルデラとは——地球が沈んだ跡

「カルデラ」はスペイン語で「大釜」。直径数km以上の、火山がつくった陥没地形をいう。阿蘇は、噴火でマグマが大量に出たあと、空になった地下へ岩盤が落ちてできた。釜というより、底が抜けた鍋だ。

阿蘇4回の大噴火(カルデラ形成)規模・到達距離
第1回:約27万年前(Aso-1)大規模火砕流——カルデラ初期形成
第2回:約14万年前(Aso-2)さらに拡大
第3回:約12万年前(Aso-3)広い範囲に火砕流
第4回:約9万年前(Aso-4)【最大】山口県まで火砕流到達・北海道東部まで火山灰

9万年前のAso-4噴火は、VEI-8クラス(スーパー噴火)に当たる可能性がある。いま起きれば九州は壊滅し、西日本も無事では済まない。その跡が溶結凝灰岩として熊本の大地を覆い、きれいなピンクの石材にもなった。物騒な噴火の置き土産が、桜色をしている。

阿蘇中岳の火口では、今も噴煙が上がり、スコリアが降る。何億年も前の石ばかり拾ってきた身には、石が「今できる」というだけで落ち着かない。

阿蘇ピンク石——超巨大噴火が生んだ桃色の石棺

阿蘇ピンク石は、宇土市網津町の馬門地区で採れる溶結凝灰岩だ。9万年前(Aso-4)の火砕流が固まったもので、鉄分の酸化でピンクからベージュに色づく。灰色ばかりの火山岩の中で、この色はよく目立つ。

古墳時代(5〜6世紀)、ヤマト王権はこの石を近畿の大型石棺に使った。今城塚古墳(大阪府高槻市)や甲山古墳など、近畿の有力者の石棺13基で阿蘇ピンク石が確認されている。熊本の火砕流が、近畿の大王の棺になった。話が大きすぎて、聞くたびに少し笑う。

なぜピンクなのか。鉄分の酸化と考えられているが、どんな条件が重なったのかは、まだ分かっていない。9万年たっても、石は種明かしをしない。

天草下島の西海岸では、白磁の原料になる天草陶石が採れる。流紋岩が熱水で変質してできた石で、有田焼や波佐見焼にも使われる。佐賀の白い器の出どころが、熊本の島だったりする。

阿蘇の火口湖は強い酸性で、硫黄やシリカが析出する。化学の実験が、屋外で勝手に進む。見るのは、安全な距離から。

水俣市のあたりは、不知火海(八代海)沿いの砂岩・泥岩の土地だ。水俣と聞けば、まず有機水銀の事件を思い出す。金属が人を傷つけた歴史も、石の話の続きにある。軽くは書けない。

熊本市内を流れる白川の河原には、阿蘇から下りてきた安山岩や溶結凝灰岩の礫が集まる。阿蘇まで行かなくても、阿蘇の石には会える。市内の川で、だ。

石好き次郎
火山弾は、表面がガラス質で、中は穴だらけだ。地球が石を作る途中で、手を止めたような顔をしている。

カルデラ内で生きる——火山と人の共生

カルデラの中には約5万人が住む。底の平地は田畑と家、外輪山の斜面は森と草原。草原は千年以上の野焼きで保たれ、放牧地になってきた。世界農業遺産とユネスコ世界ジオパークの認定もある。火山の穴の中で、牛が草を食む。

阿蘇高岳の登山道では、登るにつれて安山岩や火山礫の顔が変わる。息が上がっても、足元を見る理由には困らない。

阿蘇のまわりで目につく石は、火山のものが中心だ。安山岩、玄武岩、軽石、スコリア、火山弾。どれも地球がいま作る石で、何億年もかけて固まった石とは育ちがちがう。

溶結凝灰岩は、火砕流が熱いまま積もり、自分の重さと熱で押し固まった岩だ。つぶれた軽石が、平たいレンズ形の模様になって残ることがある。割れ面にこの模様があれば、それが火砕流の署名だ。

阿蘇の水と火口——場所ごとに見る熊本の石

白川水源(南阿蘇村)では、毎分約60トンの水が湧く。阿蘇の火山礫や砂礫が、天然のろ過装置になる。熊本が「水の国」と呼ばれる理由は、足元の石にある。

地質・石特徴
阿蘇ピンク石(溶結凝灰岩)カルデラ噴火の高温火砕流が冷却・溶結したピンク色石材
阿蘇安山岩現在も噴火する阿蘇中岳の主要火山岩
球磨川のチャート・砂岩礫九州山地の付加体から急流が運んだ礫
天草の石灰岩天草北部の古生代石灰岩(化石を含む)
熊本城の石垣加藤清正が積んだ「武者返し」の石垣(金峰山の石英安山岩など)

カルデラの大穴の中に、あとから中岳・高岳などの中央火口丘が育ち、今も噴火を続ける。穴を掘った山の中に、次の山がもう立つ。

阿蘇の山麓は、玄武岩・安山岩・溶結凝灰岩の土地だ。黒川(阿蘇地方)の渓流にも、火山岩の礫が転がる。

中岳の火口周辺では、安山岩の火山弾やスパターが見られる。ただ、ここは国立公園の特別保護地区で、石は拾えない。見るだけだ。立入規制も火口の状態で変わる。現役の火山の産物に足元で会える場所は、日本では阿蘇・桜島・伊豆大島など限られる。持ち帰れなくても、会えれば十分だ。

阿蘇は世界ジオパークに認定されている。ガイドツアーでは、阿蘇4噴火の溶結凝灰岩(阿蘇ピンク石)の露頭を前に話が聞ける。一人で露頭をにらんで首をひねるより、ずっと早い。

熊本北部の有明海は、干潟の広い浅い海だ。干潟の泥は、九州山地の花崗岩や変成岩が風化した粘土がたまったもの。山の石の、最後の姿が干潟にある。

約27万年前から9万年前まで、4回の噴火のたびに溶結凝灰岩が積み重なった。その石が古墳の棺になり、熊本城の石垣になった。一種類の石が、地球の時間と人の歴史を両方背負う。重いはずだ。

外輪山の南阿蘇・大津・菊池方面の道路沿いには、阿蘇溶結凝灰岩の露頭や切通しが多い。ピンクから灰白色の壁が道端に出てくると、9万年前の噴火が急に近所の話になる。

噴火が、王の棺と城を作った

9万年前の噴火が生んだ石が、古代の大王の棺になり、いまも城の石垣にいる。熊本の石は、話の桁がおかしい。ここからは、石の商いで石を見てきた目で、熊本を書く。

石が、政治権力の証拠になった

商売柄、色のいい石には弱い。阿蘇ピンク石も、その一つだ。熊本には行ったことがあるのに、この石の本物はまだ手に取れていない。宿題が一つ、まだ手つかずだ。

重い石棺材を、九州から近畿へ運ぶ。その手間をかけられること自体が、力の証だった。石は、値段より先に運賃で権威になる。商いの目で見ると、そこがいちばん面白い。

火山の中で、暮らすということ

火山はこわいが、肥えた土と湧き水と温泉もくれる。阿蘇の人は千年以上、野焼きで草原を守り、火山と折り合いをつけてきた。石を生む土地の上で、暮らしの知恵のほうも積み重なった。

2016年の地震で、熊本城の石垣は大きく崩れた。石を一つずつ番号で確かめて積み直す復旧が続く中、2026年7月28日に令和8年熊本地震(最大震度7)が来た。地震のあとの空撮では、石垣がまた広い範囲で崩れていた。2052年度に終える予定だった復旧にも、影響が出そうだ。気の遠くなる仕事が、また増えた。河原で石を一個ずつ選ぶだけの身としては、頭が下がるとしか言えない。

生まれたての石は、拾えない

ふだん拾う石は、何百万年も前に出来上がった石だ。阿蘇の火口周辺には、噴火で飛んだ火山弾やスコリアが転がる。生まれたばかりの石だ。

火山弾は、まだ熱を持っていそうに見える。地球がこの瞬間も石を作る、その現場だ。拾えないのが、かえっていい。手の中ではなく、景色の中にある石だから。

9万年前の噴火の石から、けさ落ちたようなスコリアまで。阿蘇では、石の一生を端から端まで見られる。持ち帰れるのは、写真だけだ。

石好き次郎
2016年の地震で、熊本城の石垣が崩れた。だが加藤清正が組んだ部分は、多くが残ったという。400年前の腕が、あの揺れには耐えた。

熊本城の石垣——積み方と武者返し

石垣の積み方には種類がある。野面積み、打込接ぎ、切込接ぎ。時代が下るほど、石の加工が細かくなる。

野面積みは、自然石をそのまま積む。隙間は多いが水はけがよく、地震にも比較的強い。古い城に多い。見た目の雑さと強さは、別の話だ。

切込接ぎは、石を四角く整えて隙間なく積む。見た目はきれいだ。ただ力が一点に集まりやすく、崩れるときは一気に崩れる。見た目で選ぶと痛い目を見るのは、石も同じだ。

熊本城には、両方が混ざる。時代ごとに積み直された結果で、地震後の調査でその違いがはっきりした。下はゆるく、上ほど急に反る「武者返し」は、清正の石積みの腕がいちばんよく出た形だ。

阿蘇の凝灰岩は加工しやすいが、風化にも弱い。だから石垣には、硬いところだけを選んで切り出した。石の目利きは、400年前にもいた。

よくある質問

Q. 阿蘇の火口は見学できる?
火山の警戒レベルしだいだ。晴れていても当日に規制されることがあるので、阿蘇山火山防災会議協議会の規制情報を見てから出る。

Q. 阿蘇ピンク石の実物は見られる?
見られる。熊本県立装飾古墳館に石棺の展示があり、宇土市の馬門石の石切場跡や高槻市の今城塚古代歴史館でも見られる。

Q. 子供と熊本で石を楽しめる?
楽しめる。「石は今もできてるんだよ」と言うと、山を見る顔つきが変わる。

石好き次郎から

熊本城の石垣には、金峰山の石英安山岩などが使われている。熊本の火山がくれた石で、加工しやすく、重すぎない。城を作るには、ちょうどいい石だった。

武者返しは、下から見上げるだけで、登る気が失せる。

阿蘇ピンク石が石棺に選ばれたのは、加工のしやすさと色だ。高い石より、使える石が選ばれる。昔も今も、石の世界はそこが変わらない。

石好き次郎
阿蘇ピンク石は、9万年前の噴火の産物だ。淡い桜色をしている。この色が地獄のような噴火から生まれたと思うと、どうにも見飽きない。
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熊本の石を城と石棺で見たら、次は河原で拾う番だ。緑川の乙女河原で赤い粒を探す一日は、熊本・乙女河原で赤い粒を探すで。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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