
和田峠の黒曜石は、長和町と下諏訪町の境、標高1,531mの峠一帯で出る天然のガラスだ。縄文の人はこれを石器にして、関東・中部の村まで運んだ。拾えるかは場所しだいで、峠の縄文の採掘跡(星糞峠・星ヶ塔)は国の史跡だから拾えない。いちばん名の通った場所ほど、見るだけになる。
長野の石でいちばんおもしろいのは、日本を東西に分ける溝の上で、大昔の人が刃物の材料を拾っていたことだ。溝の名は「フォッサマグナ」、ラテン語で「大きな溝」。深さ6,000m以上の地溝帯が、長野県を縦断している。
この溝は、明治に来日したドイツの地質学者、ハインリヒ・エドムント・ナウマンが見つけて名前をつけた。西の縁にあたる「糸魚川−静岡構造線」は日本海から太平洋まで走り、線の西と東で地質がまるで違う。松本や諏訪湖のあたりは、その境目の上にある。住む人にとっては、ただの地元だ。
この溝が生んだ石が、黒曜石だ。霧ヶ峰の和田峠は、縄文時代を代表する黒曜石の産地の一つだった。
和田峠の黒曜石は、百万年前後の火山活動でできた天然のガラスだ。それを縄文の人が石器にして、遠くまで運んだ。百万年前の石を1万年前の人が使い、いまは石好きが見に行く。一個の石の中で、年表の桁がずれている。
長野で石を拾いに行くなら、行き先は黒曜石とガーネットを探しに。長野の高原と川原へにまとめた。ここでは、石が残した長野の歴史をたどる。
フォッサマグナとは——日本を二分する「地質の大溝」
よく誤解されるが、フォッサマグナは「線」ではなく「面」だ。糸魚川−静岡構造線は西の縁にすぎず、本体は東の縁(新発田−小出構造線・柏崎−千葉構造線)まで、幅100〜200kmにわたる。線を一本またいで満足しても、その先もしばらく溝の中が続く。
| フォッサマグナの基本データ | 詳細 |
|---|---|
| 意味 | ラテン語:「大きな溝」 |
| 命名者 | ナウマン博士(明治時代に来日したドイツの地質学者) |
| 深さ | 6,000m以上の地溝(堆積物が深く埋まる) |
| 西縁 | 糸魚川−静岡構造線(日本海→長野→静岡→太平洋) |
| 意義 | 東北日本と西南日本を二分する地質的境界。両側で地質・プレートの性質が異なる |
できたのは約2,000万年前。アジア大陸の東の縁が裂け、日本列島が大陸から離れたとき(日本海の形成)の裂け目の跡だ。それから2,000万年かけて、海底の堆積物や火山の噴出物が溝を埋めてきた。長野盆地・松本盆地・諏訪盆地は、この溝の中にできた盆地だ。
千曲川は、秩父の山や八ヶ岳・浅間山の礫を運び、支流の犀川が北アルプスの礫まで連れてくる。いくつもの山の石が、一本の川に集まる。長野で河原を一つだけ選べと言われたら、地図の上では千曲川に指が行く。
和田峠の黒曜石——峠の上の、刃物の材料
峠一帯には、フォッサマグナの火山活動でできた黒曜石(流紋岩質の火山ガラス)がまとまって出る。縄文の人はここで石器の材料を掘り、交易に回した。
和田峠の黒曜石は、関東から中部を中心に、各地の縄文遺跡から出る。茅野市の尖石遺跡(とがりいしいせき)からも、たくさんの黒曜石の石器が出た。峠で割られた石が、山を下りた先の村で使われた。
産地ごとに微量元素の組成が違うので、遺跡の石器を分析すれば、どこの黒曜石か分かる。石が、自分の出身地を名乗る。
長和町の「黒耀石体験ミュージアム」は、和田峠・星糞峠の産地に近い。石器やキーホルダー、勾玉づくりの体験と、産地の展示がある。先に本物の割れ口を見ておくと、地面で黒く光るものを見つけたとき、目が迷わない。
ナウマンの名前は、象にも残った
フォッサマグナに名前をつけたナウマンは、日本の象にも名前を残した。「ナウマン象(Palaeoloxodon naumanni)」。更新世の日本列島にいた象で、化石は長野の野尻湖をはじめ、各地の地層から出る。溝の名づけ親が、象の名前になった。地質学者として、ちょっとうらやましい残り方だ。
諏訪湖・上高地・松本城——溝の上の河原を歩く
長野は、北・中・南のアルプス、松本・長野・伊那の盆地、八ヶ岳・蓼科の高原と、地形の振れ幅が大きい。地質が気候と景色をつくり、景色が暮らしをつくる。その順番が、長野ではよく見える。
| 産地・石 | 特徴 |
|---|---|
| 和田峠(諏訪郡) | 黒曜石(流紋岩質天然ガラス)・縄文石器の原料 |
| 諏訪湖周辺 | フォッサマグナ内の堆積物・砂岩 |
| 南アルプス(長野側) | 変成岩・花崗岩・中生代付加体 |
| 北アルプス(長野側) | 飛騨変成帯・花崗岩・安山岩 |
| 千曲川流域 | 多様な礫(変成岩・砂岩・チャート) |
諏訪湖は、糸魚川−静岡構造線の上の断層盆地に水がたまった湖だ。断層が沈めた土地に、水が入った。そう聞いてから眺めると、穏やかな湖面が少し違って見える。湖のまわりの礫浜では、花崗岩や変成岩の礫が拾える。
上高地(標高1,500m)の梓川の河原には、北アルプスの花崗岩・変成岩・安山岩の礫が集まる。上流の岩体から来た礫なので、一個見れば北アルプスの中身の見当がつく。ここは拾う河原ではなく、眺める河原だ。眺めるだけでも、石の話は一日できる。
中山道の木曽路沿いでは、木曽川が花崗岩・変成岩・チャートの礫を運ぶ。宿場町と河原が、同じ谷に並ぶ。街道歩きのついでに河原へ降りる人を、石好きは止めない。
中央アルプス(木曽山脈)は、花崗岩と変成岩の高い山だ。駒ヶ岳のあたりの白い砂は、花崗岩が厳しい寒さで砕けたもの。高い山では、石が砂になる途中が見える。
木曽谷の「木曽石」は、庭石や石垣に使われてきた石材だ。木曽といえばひのきだが、同じ谷で石も働いてきた。
松本城の石垣には、安山岩や花崗岩が使われる。街なかを流れる奈良井川・女鳥羽川の河原でも、花崗岩や変成岩の礫が拾える。城の石と川の石を、同じ日に見比べられる街だ。
茅野市の尖石縄文考古館には、和田峠産の黒曜石でつくった石器が並ぶ。産地と、使われた場所。その二つを先に博物館で結んでおくと、峠の足元の黒いかけらが、ただのかけらに見えなくなる。
浅間山(2,568m)は長野と群馬の県境に立つ活火山で、安山岩や玄武岩の溶岩が広く分布する。鬼押出しは、江戸時代(1783年)の噴火でできた。千曲川の河原に浅間の石が混じるのは、この山が川の上にあるからだ。
和田峠のあたりの地表には、いまも黒曜石のかけらが散らばる。石仲間のおじさんは、峠に着く前から「今日は絶対5センチ級が出る」と言う。根拠を聞いたことはない。それでも言い切られると、こちらの目まで5センチ用に切り替わる。
信州の黒曜石の産地は、和田峠のほかに鷹山(たかやま)、星ヶ塔(下諏訪町)などがある。産地によって、透明に近いもの、真っ黒なもの、赤褐色が混じるものと、色が違う。溶岩の成分のわずかな違いが、色に出る。黒曜石という名前のくせに、並べると黒ばかりではない。
地図で溝の話を読んでも、たいてい「なるほど」で終わる。溝の上に立つのとは、別のことだ。知識と体のあいだには、思ったより距離がある。縮める方法は、現地に立つことしか知らない。
和田峠の黒曜石をどう見るか
長野の石の話は、結局、和田峠の黒曜石に戻ってくる。旧石器の時代から石器の材料に使われた、当時のハイテク素材だ。黒くて、つやがあって、割れ口が刃物になる。仕事で原石をいろいろ見てきたが、これほど道具の顔をした石はめずらしい。
峠で割られ、遠くで使われた
黒曜石は、割れば鋭い刃になる天然のガラスで、金属のない時代には最良の刃物の材料だった。和田峠一帯は質のよい黒曜石をたくさん出し、その石が各地の遺跡から見つかる。遠い土地で和田峠の石が出る。その出た場所を結べば、そのまま交易の地図になる。
黒いガラスは、急いで冷えた石
黒曜石は、火山のマグマが急に冷えてできたガラスだ。急いで固まったぶん、割り口が鋭い。火山と地質の境目にある長野は、この石をたくさん出した。黒曜石そのものや全国の産地は日本で黒曜石が拾える場所にまとめた。
黒曜石の次は、城の石垣
長野の石は、道具だけでなく城にも使われた。上田城は真田氏が徳川の大軍を二度退けた城だが、いま見られる石垣の多くは、そのあとに入った仙石氏の時代に積まれたものだ。徳川と戦ったのは、いまの石垣より前の城だった。石器の黒曜石から城の石垣まで、長野の石はずっと人に使われてきた。

よくある質問
Q. 和田峠で黒曜石を採集できる?
場所による。星糞峠と星ヶ塔は縄文の黒曜石採掘の跡で、国の史跡だ。持ち帰りも、地面を掘るのも禁止。まわりは国定公園や国有林・保安林が多く、国定公園の特別地域では採集は許可制になる。上高地も特別名勝・特別天然記念物で、石は持ち帰れない。打ち欠いた跡のある石は縄文の石器かもしれないので、それも拾わない。
Q. 糸魚川−静岡構造線は長野のどこで見られる?
松本盆地の縁(松本市・安曇野市のあたり)と、諏訪湖のあたり(諏訪市・岡谷市)を通る。地震の多い活断層でもある。断層そのものが見える露頭なら、北の端の新潟・糸魚川にあるフォッサマグナパークが分かりやすい。
石好き次郎から
和田峠の黒曜石は、成分に癖がある。だから遺跡の石器を調べれば、出身地が分かる。人が忘れた道を、石のほうが覚えていた。
3万年前から、人は黒曜石を求めてこの峠に来た。理由は、いまの私とたいして変わらない。黒く光る石があると聞けば、峠でも登る。


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