東京駅を作った石は茨城から来た——稲田石と稲田、日本の近代建築を支えた花崗岩の産地

茨城の石と地質——産地の歴史写真
石好き次郎
東京駅の石は、茨城から来た。稲田石という白い花崗岩だ。1914年の開業から、日本の玄関の足元はずっとこの白だ。

稲田石のおもしろさは一つに尽きる。東京で毎日だれかが踏んでいる白い石が、茨城県笠間市から来ている。東京駅の白い敷石、日本橋の欄干、最高裁判所の外装。全部そうだ。

呼び名は「稲田石(いなだいし)」。笠間市稲田地区の花崗岩で、別名「白い貴婦人」。迎賓館や三井本館にも使われた。昭和天皇陵や広島の原爆慰霊碑もそうだと言われる。明治の近代化を、文字どおり足元から支えた石だ。

2024年7月には、国際地質科学連合(IUGS)が稲田石を含む「筑波山塊の花崗岩」を「ヘリテージストーン(地質遺産石材)」に認定した。東アジアで初めてだ。世界の石の名簿に、笠間の白が載ったことになる。

茨城で石を拾いに行くなら、行き先は久慈川の赤いメノウを探して。茨城の川原へにまとめた。ここでは、石が残した茨城の歴史をたどる。

目次

稲田石はなぜ白いのか——長石60%の組成

採掘跡の断面は、一面の白だ。石切山脈の最深部は地下65m。白い大理石のように見えるが、中身は花崗岩。大理石は石灰岩が変成した炭酸カルシウムの石で、組成はまるで違う。見た目でだまされる石は河原にいくらでもあるが、これはその一番大きいやつだ。

「白御影石の東横綱」と呼ばれる理由は、白さだけではない。割れ方が素直なのだ。稲田石の節理(自然の割れ目)は比較的規則的に並び、大きな均質なブロックを切り出しやすい。東京駅の丸石や日本橋の欄干のような大物には、この素直さが要った。石も、扱いやすいやつが出世する。

ふつうの御影石は、白地に黒い点が散る。あの点が黒雲母だ。稲田石は黒雲母が4%しかなく、黒い点がほとんど見えない。白い花崗岩は世界のあちこちにあるが、ここまで白く、粒がそろったものは多くない。

日本橋の欄干(1911年設置)は、100年以上たった今も白い。稲田石は石英と長石が密で吸水率が低く、汚れが染み込みにくい。白い石はすぐ黒ずむ、という常識を、100年かけて裏切ってきた。建築家に選ばれ続けたのは、この実績のせいだ。

稲田石の鉱物組成と白さの関係

中身の比率は、長石(カリ長石・斜長石)が60%以上、石英34%、黒雲母4%。長石の中でも白色度の高いものが多い。白い理由は、拍子抜けするほど単純だ。白い鉱物が多くて、黒い鉱物が少ない。

稲田石の基本データ詳細
産地茨城県笠間市稲田地区——石切山脈(東西10km・南北5km)
形成年代約6,000万年前(白亜紀末期〜古第三紀)——地下深くでマグマがゆっくり冷却
鉱物組成長石62%・石英34%・黒雲母4%
採掘開始江戸時代から利用・明治22年に本格採掘開始
国際認定2024年7月、IUGS「ヘリテージストーン」認定(東アジア初)

均一な白さ、大きな岩盤、豊富な埋蔵量、東京に近い立地。明治の工事に要る条件が、全部そろっていた。都電の軌道敷石にも使われ、都電がなくなると銀座の歩道に回された。銀座を歩く人の靴の下にも、笠間の石がいる。

稲田石が使われた建造物——日本史の証人リスト

東京駅丸の内駅舎の2012年改修では、1914年の開業時の稲田石が補修・復元に使われた。約100年前の石と、同じ採石場から出た今の石が並んだことになる。産地が100年途切れずに掘れていたから、できた芸当だ。

広島の原爆慰霊碑にも稲田石が使われたという。その背景には、白い石の清らかさ、平和のイメージがあったと言われる。1952年の完成から70年以上。ここは石の講釈より、黙って前に立つ場所だと思う。

建造物稲田石の使用箇所
国会議事堂(1936年竣工)一部に使われたと言われる
最高裁判所(1974年竣工)外装・敷石
東京駅(1914年竣工・2012年改修)丸の内広場の敷石・改修部分
日本橋(1911年竣工)橋台・欄干の花崗岩(100年以上白さを保つ)
広島原爆慰霊碑石材に使われたと言われる(平和記念公園内)
昭和天皇陵・迎賓館・三井本館建築石材
石好き次郎
毎日だれかが踏んでいる石なのに、出どころまで知る人はほとんどいない。石好きを名乗っていても、駅の床はつい見落とす。

石切山脈——「地図にない湖」が生まれた採石場

石切山脈の廃採石場「前山採石場」は、地下65mまで掘ったあと、岩の割れ目から湧いた水で満たされた。これが「地図にない湖」だ。深いところで40m以上あるとされ、水が澄んで湖底の白い岩肌が透ける。掘った傷あとが、勝手に絶景になった。

ただ、ここはもう見られない。運営会社の発表では、2026年3月31日で一般見学・プレミアムツアーとも受け入れを終えた。再開の予定は、いまのところ発表されていない。白い壁と青緑の水を楽しみにしていた人には、悪い知らせだ。動きがあるとすれば公式サイトに出る。

石切山脈の切断面は、ワイヤーソーで切ったまっすぐな白だ。巨大な豆腐を切ったよう、という言い方がいちばん近い。河原の石は、水が角を落とす。ここの石は、人が角を作る。

笠間で稲田石に会う——行き方とよくある質問

笠間へはJR水戸線で。石切山脈のある稲田地区は、笠間駅の隣の稲田駅のほうが近い(採石場の見学受け入れは2026年3月で終わった)。車なら北関東道から入れる。笠間稲荷神社の門前通りも稲田石の石畳だ。笠間焼や笠間日動美術館もある。石だけ見て帰るには、もったいない町だ。

いまの用途は、建築外装、縁石や歩道板、護岸石、記念碑、墓石。墓石では「白墓石」の代名詞で、香川の庵治石などと並ぶ名の通った国産材だ。昔は日本橋、今は近所の縁石。偉くなっても、仕事を選ばない石だ。

手元に置きたいなら、笠間市内の石材店や道の駅かさまで、数cm角の磨いたサンプルが手に入る場合がある。1,000〜3,000円程度。選ぶなら「笠間市産稲田石」と産地が書いてあるものにする。白い石は、見た目だけでは産地まで分からない。

Q. 稲田石の採石場は見学できる?
今はできない。代わりに、笠間稲荷神社の門前通りの石畳や茨城県庁の前庭で会える。東京なら日本橋の欄干・橋台、東京駅丸の内広場の一部だ。

稲田石の地質——6000万年前のマグマが冷えた場所

筑波山(標高877m)も花崗岩と斑れい岩の山で、稲田石と同じ白亜紀〜古第三紀のマグマ活動でできた。ただ、筑波山の花崗岩は黒雲母が多く、黒い点が目立つ。同じ親から生まれて、色白に育ったのが稲田のほうだ。

花崗岩はシリカ(SiO₂)が70%以上の石だ。シリカが多いほど白く、硬く、化学的に安定しやすい。稲田石の白さも、硬さも、雨に強いのも、根っこは同じところにある。

できたのは約6,000万年前(白亜紀末〜古第三紀初め)。日本列島がまだ今の形になる前、ユーラシア大陸の東の縁で、地下数キロの流紋岩質マグマがゆっくり冷えて固まった。それが稲田花崗岩だ。

地下でゆっくり冷えると、結晶が大きく育つ。稲田石の長石は数ミリから1cmほど。白い粒が肉眼でそろって見えるのはそのためで、「白い貴婦人」の名もこの粒の白さから来た。急いで冷えた石には、こういう顔はできない。

固まったマグマが、長い侵食で地表に出てきたのが石切山脈だ。笠間市周辺に、東西10km・南北5kmの露頭が広がる。これだけ大きく、白くそろった花崗岩の露頭は、日本ではめったにない。

石好き次郎
河原の花崗岩は、たいてい白地に黒ごまを散らした顔をしている。稲田石は、そのごまがほとんど無い。白い貴婦人とは、うまいことを言ったものだ。

稲田石の採掘——明治の近代化を支えた石切職人

東京駅を設計した辰野金吾は、丸の内口の広場と通路の敷石に稲田石を選んだ。日本橋の設計者・米元晋一も、白い欄干が水面に映える景色を考えて稲田石にしたとされる。設計者の頭の中にあった景色を、いまは通勤の人が毎日踏んで通る。

本格的な採掘は1889年(明治22年)から。鉄道、橋、役所の建物と、明治政府の工事が一気に増え、東京まで鉄道で運べる近場の良い石として稲田石が選ばれた。水戸線の稲田駅は、石を運ぶための側線がある駅として知られた。

割り方は「矢穴(やあな)」から始まった。石に穴を一列あけて楔を打ち込み、割れ目に沿って割る。今はワイヤーソーやウォータージェットだが、古い建物の石には矢穴の跡が残り、東京駅の改修で回収された石にも見つかった。機械の時代になっても、古い石は割った人の手つきを覚えている。

最盛期の1930〜60年代には、稲田地区に50社以上の石材会社があり、数百人の石切職人が働いていた。今は20社ほどに減ったが、採掘は続き、年に数万トンが出荷される。町の名前と石の名前が同じなのは、伊達ではない。

ヘリテージストーン認定——世界の石材地質学に刻まれた稲田石

認定を記念した碑が、2024年に笠間市内に置かれた。碑そのものも稲田石で、表面に認定の中身が刻まれている。石が自分で自分の賞状を掲げているようなものだ。この形は、けっこう好きだ。

2024年7月の認定は、稲田石の長い歴史の中でも大きな出来事だと思う。ヘリテージストーンは、地球の歴史を語り、人の暮らしに深く関わってきた石材を、IUGSが地質遺産として認める制度だ。これまでは欧米の石材が中心だった。

そこに、東アジアで初めて日本の花崗岩が入った。認定の名前は「筑波山塊の花崗岩」。笠間の稲田石だけでなく、筑波山まわりの同じ系統の花崗岩がまるごと対象だ。筑波山に登る人も、知らずにその上を歩いている。

日本橋も、東京駅も、最高裁も、同じ産地の石だ。出どころを知ると、ビルの並ぶ街が少しだけ石切り場に見えてくる。

産地で顔が違うのが、花崗岩のおもしろさだ。六甲の本御影は、淡い桜色を帯びる。庵治石は結晶が細かく、青みを帯びる。稲田石は粒が粗くて白い。名前を伏せて並べられても、稲田だけは当てやすいと思う。

白い石の話ばかりしたが、茨城の本領は川原にもある。久慈川の赤めのうを筆頭に、拾える場所は茨城の川原で石を探すにまとめた。建物の石を見上げて首が疲れたら、そっちへ。

石好き次郎から

明治の東京は、茨城の山を少しずつ削って作った町でもある。

広島の原爆慰霊碑も、稲田石だと言われる。なぜ白い石が選ばれたのか、はっきりとは分からない。分からないことは、分からないままにしておく。この石が100年たっても白いことだけは、確かだ。

河原でしゃがむ側からすると、拾えない石はどこか遠い。でも東京駅の床なら、靴の裏でいつでも会える。

石好き次郎
山を四角く削った石が、100年以上、東京の顔を作ってきた。踏んで通る人は、誰もそんなことは考えていない。石には、それくらいがちょうどいい。

公式確認先

行き方や料金のもとにしたページを置いておく。変わっていたら、こちらが正しい。

石切山脈・観光情報

ヘリテージストーン認定

最終公式確認:2026年7月23日

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拾えない石の次は、拾える石だ。東京なら、電車一本で河原に下りられる。多摩川の足元は小さな鉱物図鑑から。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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