
鶴ヶ城の石垣は、戊辰戦争の砲撃を受けても崩れず、いまも立つ。福島の石は、崩れた山と、崩れなかった石垣を、両方見せてくれる。崩れたほうの主役は磐梯山(ばんだいさん)。名前の由来は「天に通じる岩(磐)の梯子(はしご)」だそうだ。
名前どおり、岩の山だ。安山岩質の成層火山で、標高1,816m。1888年(明治21年)7月15日に水蒸気噴火を起こし、小磐梯が山体崩壊した。岩屑なだれが北麓の5村11集落を埋め、死者477名。その同じ噴火が、桧原湖・秋元湖・五色沼をつくった。いま観光客が写真を撮る湖は、どれも災害の跡にたまった水だ。
崩れなかったほうは、会津若松の鶴ヶ城の石垣だ。山と城。福島の石の話は、この二つを行ったり来たりする。
福島で石を拾いに行くなら、行き先は福島で石を拾える場所はある?日本三大ペグマタイト産地・石川町の鉱物にまとめた。ここでは、石が残した福島の歴史をたどる。
五色沼——鉄と硫黄が水を染める
いちばん大きいのは毘沙門沼(びしゃもんぬま)。名前は、近くに毘沙門堂があったことから。コバルトブルーの水面に、磐梯山が映る。写真で見ると色を足したように見えるが、誰も足していない。足したのは鉱物だ。
色は季節でも動く。春は雪解け水で薄まり、夏は鉄イオンの酸化が進んで深い青緑に、秋冬は水位が下がって濃くなる傾向がある。同じ沼が、行くたびに違う顔をする。二度目に行く理由を、沼のほうが用意してくれる。
五色沼の北の桧原湖も、同じ1888年の噴火で生まれた湖だ。湖底には噴火前の村の跡が眠るとされ、水中探査でも見つかった。石が村を飲み込み、その上に水がたまった。湖畔で景色を眺めていても、少しだけ足元が気になる。
噴火そのものは、規模としては比較的小さい水蒸気噴火だった。被害を大きくしたのは、山体崩壊という二次の現象だ。崩れた岩と土砂が北麓の川をせき止め、300以上の池沼が生まれた。その生き残りが、いまの五色沼湖沼群になる。傷跡が、いつのまにか観光地になった。
五色沼のトレッキングコースは、毘沙門沼から柳沼まで約4km、歩いて70〜90分。沼ごとに色が変わるので、そのたびに足が止まる。案内の所要時間は、立ち止まらない人の数字だ。
五色沼を彩る主な鉱物成分
五色沼は、青・緑・赤・黄・白に色づく沼の総称で、実際には30以上の沼がある。色のもとは、磐梯山の火山活動に由来する硫黄・鉄・アルミニウムなどの成分。それが地下水に溶け込み、沼ごとに水の性格を変える。
| 色 | 代表的な沼と、色のもと |
|---|---|
| コバルトブルー・青緑 | 五色沼(毘沙門沼)——鉄イオン(Fe²⁺・Fe³⁺)と硫酸アルミニウムが溶け込んだコロイド状の水 |
| 深い緑 | 弁天沼——コロイド粒子のサイズと光の散乱の違いで色が変わる |
会津塗の朱色——辰砂(硫化水銀)が生む赤
会津塗の赤は、もとをたどると石の赤だ。朱の原料は辰砂(しんしゃ)、硫化水銀(HgS)の鉱物。これを漆に混ぜた「朱漆(しゅうるし)」が、会津塗の朱になる。器を見て鉱物を思い浮かべる人は少ない。石好きは思い浮かべてしまう。損な性分だ。
漆はウルシノキの樹液で、湿気のある空気の中、酵素の働きで固まる。乾くのではなく、固まる。液体が固体に変わる化学変化を、昔の人は理屈より先に手で覚えた。そこへ辰砂を混ぜると、赤く固まる。鉱物と植物の合作だ。
辰砂は加熱すると水銀に変わる。魏志倭人伝には「其山有丹」(その山に丹〈辰砂〉がある)とあり、古代の王権も辰砂の産地を気にかけた。江戸時代までは会津に限らず日本中の朱漆に使われたが、いまは水銀の毒性のため、顔料としての使用は制限されている。きれいな赤ほど、扱いに気をつかう。
会津は越後山脈と奥羽山脈に囲まれた盆地で、湿り気のある気候が漆を固めるのに向いた。安土桃山時代に蒲生氏郷が産業として奨励し、漆器の産地になった。雪国の湿った空気が、赤い器を育てた。

鶴ヶ城の石垣——戊辰戦争を耐えた石
石垣をひと回り見て歩くと、約30分。外堀、天守台、門まわりと、場所によって積み方も石の種類も変わる。城内には、のちの改修で積まれた「打込みハギ」(石の接する面を加工して積む)も使われ、野面積みと見比べられる。違いを探し始めると、城を見に来たのか石垣を見に来たのか、分からなくなる。
石はどこから来たのか。石垣の自然石は、阿賀川(会津の川)の河原石と、磐梯山麓で切り出した安山岩が中心とされる。近くにある石を、目いっぱい使う。城づくりは、まず石集めだった。
野面積みは、自然の石をほとんど加工しない。だから丸い川石、角ばった山石、平たい板石が混ざって並ぶ。形の違う石どうしが噛み合って、全体が締まる。河原で石ばかり見てきた目には、この石垣が河原の寄せ集めに見えて、ちょっとうれしい。
1868年8月から9月、約1ヶ月の籠城戦。新政府軍の砲撃で城壁にも天守にも多くの弾痕が残ったが、安山岩の石垣は崩れなかった。石が硬かったからだけではない。自然石の凹凸が衝撃を散らす、野面積みの柔らかさが効いたとされる。
鶴ヶ城の赤瓦は、会津の冬の雪と凍結に耐えるよう焼かれた瓦だ。1965年の再建では灰色の瓦だったが、2011年の改修で史実に合わせて赤瓦に戻った。土は会津の陶土、焼いたのは会津の窯元。石垣も瓦も、足元の土と石でできている。
戊辰戦争のあと、1874年に城は取り壊され、残ったのは石垣だった。いまの天守は1965年(昭和40年)の再建。蒲生氏郷が築いた部分は約400年前のもので、石垣は戊辰戦争のときのまま現存する。建物は建て直せる。石垣の時間は、建て直せない。
よくある質問
Q. 五色沼は全部で何色ある?
決まった数はない。「五色」は5色ではなく「たくさんの色」という意味だ。青、青緑、エメラルドグリーン、深緑、赤茶と、沼ごとに色が違う。毘沙門沼・弁天沼・竜沼・柳沼が代表的だ。
Q. 磐梯山はまだ噴火する?
活火山だ。気象庁の常時観測火山で、噴火警戒レベルは1(活火山であることに留意)。山頂の沼ノ平火口では今も弱い噴気活動がある。1888年以降、大きな噴火は起きていない。
磐梯山の地質——1888年噴火が作った風景
1888年の噴火は、当時の観測技術で記録された最初の大規模な山体崩壊の一つで、国際的な火山学の研究にも使われた。「バンダイ型噴火」の名は、水蒸気爆発をきっかけに山が崩れる噴火のモデルとして教科書に載る。福島の山の名前が、学術用語になった。
磐梯山の安山岩は灰色から暗灰色で、斜長石や輝石の粒を含む。比較的新しい溶岩流の転石は風化が浅く、鉱物の粒がはっきり見える。五色沼のあたりにはスコリア(穴の多い火山岩)も転がる。穴だらけの石は軽い。分かっていても、手のひらが一瞬だまされる。
磐梯山は約70万年前に活動を始めた。山体は「古磐梯」と「新磐梯」の2期に分けられ、1888年に崩れたのは新磐梯の一部、小磐梯だった。山頂付近には溶岩流、火砕堆積物、スコリアが重なる。その重なり方が、そのまま噴火の履歴書になる。
崩れた岩屑なだれは約1.5立方キロメートル。東京ドーム1,200個分ほどの岩が、一気に北麓を覆った。湖の水の下には、かつて山だった岩がある。
磐梯山に登るなら、磐梯山ジオパークの解説マップを先に手に入れておくといい。登山ルート沿いの岩の露頭の位置と説明が載っていて、いま踏んでいる岩がいつ、どうできたかが分かる。息が上がると字を読む余裕はなくなるので、開くのは休憩のたびでいい。
火山の硫黄と、海へ向かう川
近代以前の会津藩の財政を支えたものの一つが、硫黄だ。磐梯山や吾妻山のまわりの火山地帯から硫黄が出て、火薬・漂白剤・農薬の原料として全国に流れた。火山は村を埋める。同じ火山が、売れる石も地下から押し出してくる。
会津は阿賀野川(会津では阿賀川)水系の上流にあり、その水は日本海に注ぐ。縄文の昔から人が住み、塩や石、鉱物を運ぶ道で日本海側とつながってきた。山に囲まれた盆地は閉じて見える。川の向きで見ると、海へ開いている。
福島で石を見に行く三つの場所
福島県立博物館(会津若松市)では、東北の自然史・考古・歴史をまとめて見られる。磐梯山の地質、縄文の石器、会津の石材文化まで並ぶ。五色沼や鶴ヶ城の前後に寄ると、ばらばらに見た石の話が一本につながる。
南会津の鉱山跡のまわりでは、方鉛鉱・黄銅鉱・黄鉄鉱などの硫化鉱物が見つかることがある。ただ、廃鉱山は話が別だ。土地の持ち主の許可が要り、黙って入れば法律の問題になる。城の石垣も、もちろん拾う場所ではない。決まりで守られた場所を外せば、ふつうの河原と海岸の石は気楽に拾っていい。
福島市の北を流れる摺上川(すりかみがわ)の河原には、奥羽山脈から来た花崗岩、変成岩、石英脈の転石が多い。水晶や方解石の脈石が見つかることもあり、地元の石好きに知られた川だ。白い石英の塊を見たら、割れ目に透明な先っぽが隠れていないか、のぞいてみる価値はある。
福島の石は会津だけではない。東の阿武隈山地には、古い変成岩・花崗岩・片麻岩が出る。花崗岩は地元の石材や墓石として長く使われてきた。磐梯山の若い火山岩とは、年の離れた石が同じ県に並ぶ。
もう少し足を延ばすなら、裏磐梯、いわき、南相馬・相馬の海岸の三つだ。裏磐梯は、五色沼の色づいた水と、磐梯山の安山岩の露頭、石切り場の跡。
いわきは炭鉱の町だった。常磐炭田の遺構や、みろく沢炭鉱資料館で「石炭という石」の産業史が見られる。いわき市石炭・化石館(愛称「ほるる」)には、石炭紀の植物化石も並ぶ。石炭は、植物が石になったものだ。燃える石も、石好きとしては石に数えたい。
南相馬・相馬の海岸には、阿武隈山地から川が運んだ石が転がる。2011年の東日本大震災の津波で地形が変わった場所もある。石の顔ぶれは変わらず、阿武隈山地の古い変成岩・花崗岩が中心だ。浜は変わっても、山は同じ石を送り続ける。
五色沼の青緑は、「鉄イオンの色だ」と知る前に、ただきれいだと思う色だ。説明は後から来る。来たら来たで、理由が分かってもう一度驚く。福島の石は歴史を背負いすぎなくらいだが、磐梯山がつくる色は、歴史とは関係なく今日も続く。
石好き次郎から
山が崩れて湖をつくり、同じ山の石が城を守った。福島の石の話は、結局一つの山につながる。
きれいに削りそろえた石より、でこぼこのまま噛み合わせた石のほうが強い日がある。河原で石を見てきた身には、なんとなく分かる。
五色沼の色は、水に溶けた石の色だ。沼ごとに溶けている成分が違うから、色が違う。ふだん拾うのは、乾いた石ばかりだ。福島では、溶けた石まで見に行くことになる。
器になった石、城になった石、水に溶けた石。この記事の主役は、拾えない石ばかりになった。福島は、拾う前に見る県だと思う。


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