御木本幸吉が変えた世界と、伊勢神宮の御白石——三重の真珠と石の文化

三重産真珠——地質と産地の歴史写真

御木本幸吉が変えたのは、真珠の生まれ方だ。何千もの貝を開けてやっと出会う偶然の宝を、貝を育てて待てば出る宝石にした。三重には、もう一つ大事な石がある。伊勢神宮に奉納される白い川石、御白石だ。三重の石の話は、貝と神様から始まる。

石好き次郎
石拾いは、だいたい偶然を待つ遊びだ。その偶然を、待てば来るものに変えた人がいる。河原で空振りの多い身には、まぶしい話だ。

1893年(明治26年)7月11日、鳥羽市・相島(おじま)の海。御木本幸吉が実験中のアコヤ貝を開けると、半円の真珠が5個、殻の内側に付いていた。これが日本の養殖真珠の始まりになった。貝が異物を包んで真珠にする仕組みを、人が再現した。

実験を始めた英虞湾は、入り組んだリアス式海岸の内湾だ。波が穏やかで、水がきれい。貝を育てるには都合のいい湾だった。

三重で石を拾いに行くなら、行き先は三重で石を探す|日本一長い砂礫海岸と、日本最大級の恐竜が出た海岸にまとめた。ここでは、石が残した三重の歴史をたどる。

目次

真珠の中身——アラゴナイトの結晶が作る宝石

真珠の中身は、アラゴナイト(霰石)という炭酸カルシウムの結晶と、コンキオリンという有機物の重なりだ。アラゴナイトは方解石と中身は同じで、結晶の組み方だけが違う。地面からも出る鉱物だが、貝の中では有機物と層になり、あの真珠光沢になる。硬度は3.5で、宝石にしてはかなり柔らかい。

光り方も、ほかの宝石と違う。1層約0.5マイクロメートルの薄い層が無数に重なり、光が干渉する。シャボン玉の虹と同じ理屈だ。たいていの宝石は屈折と全反射で光るが、真珠は層で光る。だから真珠の光は、刺さらずに、にじむ。

養殖真珠の仕組み——貝に「石」を入れる

養殖真珠は、アコヤ貝に「核(かく)」という球を入れて作る。核の材料は、淡水二枚貝(主に北米産)の殻を丸く削ったもの。貝の中に、別の貝の殻を入れる。理屈は分かっても、手品を見た気分が抜けない。

工程内容期間
核入れ(施術)アコヤ貝の外套膜を切り開き、「核」(貝殻球)と「ピース」(別の貝の外套膜の細片)を移植1日
養生・養成核の周りに真珠質(アラゴナイト層)が析出・蓄積していく。貝のそうじ・水温管理が必要年単位(巻きを厚くするほど長い)
収穫貝を開けて真珠を取り出す(真珠を取り出すと貝の命が終わる)—

核の上に巻く真珠層が厚いほど、輝きは増す。ただ長く置けば、そのぶん貝が死ぬ危険も増える。志摩市阿児町賢島には「真珠貝供養塔」があり、真珠のために命を落とした貝を供養する。真珠の値札には、死んだ貝の数は書いていない。

御木本幸吉の物語——失敗と成功の5年間

1858年(安政5年)、鳥羽のうどん屋の長男に生まれた御木本幸吉は、海女が採る天然真珠を見て「作れないか」と考えた。1888年(明治21年)ごろから英虞湾でアコヤ貝の実験を始め、東京大学の箕作佳吉教授の支えを受けながら、5年失敗を重ねた。うどん屋の息子が、世界の宝石の形を変えた。

1893年の成功のあと、1896年に特許を取った。それでも最初は「養殖は模造品」と言われた。御木本はフランスの「パリー裁判」で本物の真珠だと認めさせ、質の悪い養殖真珠を人前で焼き捨てて品質を示した。96年の生涯(1858〜1954年)を真珠に使った人だ。売り物を燃やす。いちばん勇気の要る一手だと思う。

伊勢神宮の御白石——1300年続く遷宮と、石を奉納する行事

式年遷宮(しきねんせんぐう)は20年に一度。そのとき「お白石持ち行事」で、御白石(おしらいし)と呼ばれる白い小石を、内宮・外宮の新しい正殿のまわりに敷き詰める。石は宮川の河原で集めた白い石英の礫で、全国から来た奉仕者が運ぶ。遷宮そのものは、1300年以上続く。

次の式年遷宮は2033年の予定で、お白石持ち行事もそのころに行われる。神様の住まいに、川の石を敷く。

三重の川と浜——宮川・五十鈴川・熊野灘の石

場所出る石拾えるか
宮川(中流〜下流)緑色片岩・チャート・砂岩・白い石英拾える(ふつうの河原)
櫛田川緑色片岩・チャート・砂岩拾える(ふつうの河原)
五十鈴川(内宮の神域)白い石英礫が目につく見るだけ(神域の石は持ち帰らない)
英虞湾岸は砂岩などの岩礁。湾は真珠の養殖場筏を眺める湾
熊野灘の礫浜熊野川が運んだ紀伊山地の礫手で数個なら拾える

真珠は川では拾えない。三重で河原に立つなら、宮川と櫛田川だ。どちらも中央構造線のそばを流れ、三波川変成帯の緑色片岩に、チャートや砂岩が混ざる。一つの河原で、手に取る石の色が何度も変わる。

宮川は奈良との県境の大台ケ原(おおだいがはら)を源流に、上流の変成岩やチャートの礫を伊勢平野へ運ぶ。宮川の河原には、私も行ったことがある。御白石を出す川で、石を地質として手に取る。少し背筋が伸びる。

五十鈴川(いすずがわ)は内宮のそばを流れ、白い石英礫が目につく。ただし神域の石は持ち帰らない。ここは見るだけにする。

英虞湾の岸は、付加体の砂岩などの岩礁と砂浜が入り組む。真珠の筏が浮かぶ湾を石の目で眺めると、このギザギザの岸が穏やかな内湾を作り、養殖の条件をそろえたのが分かる。真珠の陰の主役は、岸の石だ。

石好き次郎
緑の平たい石を拾ったら、横から見てみる。薄い層が重なった筋が見えれば片岩だ。白い石英ばかり追いかけていると、この緑を見落としやすい。

真珠は、貝が作った石だ

真珠だけは、ほかの石と勝手が違う。水晶もダイヤも地球が作るが、真珠は生きた貝が作る。石の商いの場で長く宝石を見てきたが、この一点には、いまだに慣れない。

命が作った石

成分だけなら、石灰岩や大理石、珊瑚の仲間だ。鉱物の仲間には入れてもらえないが、石としては身内だ。

真珠を手にするたびに思う。これは地球の石ではなく、命が作った石だ。ほかの石と並べると、真珠だけ少し体温があるように見える。気のせいだとは思う。

母貝を育てる時間まで入れれば、一粒に何年もかかる。真珠のネックレスを見ると、つい粒の数に年数を掛けてしまう。気が遠くなる。

石を、神に捧げる国

清らかな川で選ばれた白い石を、人が手で運び、神の住まいに敷く。拾った石の行き先として、これ以上の場所は思いつかない。うちの棚とは、えらい違いだ。

よくある質問

Q. 養殖真珠と天然真珠の違いは?
核があるかどうかだ。成分(アラゴナイト層)は同じで、見た目では見分けられない。養殖は貝殻球の核があり、鑑別機関のX線で分かる。天然は砂粒などの異物を芯に、全体が真珠層だ。いま出回る真珠のほとんどが養殖で、天然真珠はきわめて少ない。

Q. ミキモト真珠島に行ける?
行ける。鳥羽市の「ミキモト真珠島」は、御木本が養殖に成功した相島そのものだ。海女の実演、真珠博物館、御木本の生涯の展示がある。入場料は変わることがあるので、出かける前に公式で見ておく。

Q. 子供と三重で石を楽しめる?
楽しめる。「真珠は貝が作った石なんだよ」の一言で、だいたい食いつく。貝が宝石を作る話は、大人が聞いても十分おかしい。

石好き次郎から

半円真珠のあとも、御木本は真円真珠までさらに10年余り失敗を続けた。1905年、ようやく丸い一粒にたどり着く。私なら3年目あたりで、河原に逃げている。

三重には行ったことがある。それでもこの県の石を一つと言われたら、河原の石英より先に、この貝の石が浮かぶ。河原びいきとしては、少々分が悪い。

真珠は貝が、御白石は川が、長い時間をかけて仕上げた。値段は天と地ほどちがうのに、三重ではどちらも大事に扱われる。その公平さが、この県でいちばん好きなところだ。

石好き次郎
真珠は、汗や皮脂で艶が曇る。身に着けたら、やわらかい布でひと拭きして戻す。石より手のかかる宝石だが、生き物が作ったものだと思えば腹も立たない。
石好き次郎のおすすめ
石好き次郎のおすすめ
貝の石は、一種類ではない。アコヤ・南洋・黒蝶・淡水の違いは真珠の種類と価格で見分けられる。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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