能登半島の地質を歩く——珪藻土・奇岩・2024年地震後の変化

能登半島の石——日本の鉱物産地写真
石好き次郎
珪藻土の崖は、遠目には白い壁だ。硬そうに見えて、爪で削れる。石と呼ぶのが少し気の毒なくらい柔らかい。その柔らかさが、七輪にも漆の下地にもなった。

能登半島で石好きが見るべきものは、まず珪藻土だ。拾って帰る石ではない。七輪になり、輪島塗の下地になり、半島そのものを作った石だ。

珪藻土は、100分の1ミリほどの「珪藻」というプランクトンの死骸が海底に積もり、1,400万〜500万年前に固まった地層だ。能登の珠洲市・七尾市には世界有数の鉱床がある。殻に無数の穴が開いているから、七輪は炭火に強く、バスマットは水をよく吸う。海の微生物の骨が、台所で働いている。

能登は、石を拾う場所というより、石の時間を歩く場所だ。崖も奇岩も、もとは昔の海の底だ。2024年の能登半島地震では地盤が最大4m近く隆起し、海の底だった地層が顔を出した。地面が動くのは、昔話ではなかった。

スポット場所見どころ石の種類
見附島(軍艦島)珠洲市宝立町珪藻泥岩の奇岩島(2024年の地震で大きく崩れた)珪藻泥岩・泥岩
能登金剛(巌門)志賀町海食洞・柱状節理の海岸流紋岩・凝灰岩
禄剛崎(ろっこうさき)珠洲市三崎町能登半島の最先端。外浦と内浦の境波に削られた岩場
白米千枚田周辺海岸輪島市白米町急崖と棚田が作る独特の景観泥岩・砂岩
切り出し七輪珠洲市珪藻土の塊を削り出して作る七輪珪藻土
目次

珪藻土とは何か——1400万年前の海のプランクトンが石になった

能登の珪藻土は白からクリーム色。殻の成分である二酸化ケイ素の純度が高いしるしだ。秋田のものは灰色がかった白、北海道はやや黄みがかった白。同じ名前の石でも、産地で顔色が違う。並べて見比べるだけで、けっこう時間がつぶれる。

江戸時代から、能登の珪藻土は輪島塗の「地の粉(じのこ)」になってきた。焼いて粉にし、漆に混ぜて下地に塗る。あの艶の下に、石がいる。漆器を前にして器より下地の話を聞きたくなる人間は、たぶん少数派だ。

珪藻土の形成メカニズム

珪藻は、ガラスと同じ二酸化ケイ素の殻を持つ植物プランクトンで、大きさは0.01〜0.1mm。死ぬと殻だけが海底に沈み、1,000年で数mmという速さで積もる。それが長い年月と重みで固まる。気の長い話だが、石の話はだいたい気が長い。

能登が特別なのは、量と質だ。七尾市の和倉層、珠洲市の飯塚層など、厚い珪藻質の地層が各地にある。これだけ積もるには、当時の海で珪藻が爆発的に増えていなければならない。1,400万年前の能登の沖は、温かく、栄養たっぷりの海だった。

殻の穴の集まりだから、水を吸い、熱を逃がさない。七輪に向くのは、炭火に耐えて熱を抱え込むからだ。空隙率は90%近く、ほとんどが空気。持つと見た目より軽い。重そうな顔をして、中身はすかすかだ。

浜に落ちた珪藻泥岩のかけらは、手に取ればすぐ分かる。白っぽく、持つと拍子抜けするほど軽い。指でこすると白い粉がつき、濡れた指で触ると、水がすっと吸われる。柔らかい石なので、波にもまれると角がすぐ取れる。浜で見かけるのは、たいてい小さく丸まったかけらだ。

見附島——珪藻泥岩でできた軍艦と、地震が変えた姿

見附島(みつけじま)は珠洲市宝立町の海岸から沖合200mほどに立つ無人島だ。弘法大師が佐渡から能登へ渡るとき、最初に「見付けた」という伝説が名の由来。島ごと珪藻泥岩で、波と風に削られて「軍艦島」と呼ばれる姿になった。柔らかい石は、形で目立つ。

2024年1月の地震で、見附島は先端が崩れて姿を変えた。以前は引き潮のときに近くまで歩けたというが、今は様子が違う。渡らず、浜の遊歩道から眺めるくらいがちょうどいい。

能登金剛(巌門)——日本海の波が削った流紋岩の絶壁

能登金剛は、石川県志賀町の日本海沿いに続く断崖と奇岩の海岸だ。福浦港から関野鼻まで、約29kmある。核心は「巌門(がんもん)」。流紋岩の岩壁を波がくり抜いた、高さ15m・幅6mの海食洞で、遊覧船からも見られる。

流紋岩は、地下から上がってきたマグマが固まった火山の岩だ。珪藻土のような海の堆積岩と、生まれのまったく違う石が隣り合う。同じ半島で、別の本を読まされる感じがする。火山の岩が柱の形に割れた崖なら、福井の東尋坊の六角形も同じ北陸の海に立つ。

巌門のまわりには流紋岩の転石が見られる。白から灰色の、きめのそろった硬い石で、波に磨かれると滑らかな光を帯びる。遊覧船で海側から断崖を眺めると、陸からは分からない岩の重なりが見える。船の上でも、目は崖から離れない。流紋岩の縞を、浜の別の石と見分けるなら縞模様の石の見分け方が手がかりになる。

観光は通年。荒波と侵食の迫力なら秋〜冬(10〜3月)、海辺に近づきやすいのは波の穏やかな春〜初夏(4〜6月)。同じ崖でも、季節で別の顔になる。

禄剛崎——能登の最先端で出会う石の境界線

禄剛崎(ろっこうさき)は能登半島の最先端、珠洲市三崎町にある。外浦(日本海側)と内浦(富山湾側)の海が出会う場所で、海から昇る朝日と、海に沈む夕日が同じ所で見られる。灯台の下には、波が平らに削った岩場が広がる。

崖下へ降りるより、岬の上から眺める方が、この場所には合う。外浦の荒い波と、内浦の静かな水面を、首を振るだけで見比べられる。同じ半島の浜でも、波が違えば石の丸まり方も違うはずだ。

のと鉄道能登線(穴水〜蛸島)は廃線なので、穴水駅からバスかタクシー、あるいはレンタカーで向かう。最果ての岬は、たどり着くまでが長い。

石好き次郎
能登の地図を眺めると、半島の先で海が二つに分かれる。荒い外浦と、静かな内浦。拾う石も、たぶん浜ごとに顔が違う。いつか確かめたい場所の一つだ。

2024年能登半島地震——海岸地形の変化

2024年1月1日、能登半島地震(M7.6)が起きた。産総研の調査では、輪島市門前町鹿磯周辺で約3.8〜3.9mの隆起が確認されている。海の下にあった岩盤や地層が、地上に出た場所がある。

多くの方が亡くなり、復興は今も続く。地質の記録として貴重な場所である前に、ここは人の暮らしの場所だ。

隆起で出た地層は、地質の目で見れば一級の観察対象だ。それでも、採取・持ち帰りを前提とした案内はしない。復旧工事の続く所、調査中の所、崩れやすい崖には近づかない。見学のつもりで、静かに見る。

道路や営業の状況は、石川県観光連盟の能登復興・営業再開情報に載る。出かける前に一度だけ見ておけば足りる。

珠洲の七輪——石好きが「使える」工芸品

珪藻土のことを知ってから七輪を選ぶと、炭を入れるたびに昔の海がちらつく。

珠洲の七輪の伝統は、珪藻土の塊をそのまま削り出す「切り出し七輪」。型で固めたものより熱をため込み、料理人やバーベキュー好きに評価が高い。練らずに、山から切った石を削って焼く。石の性質が、そのまま焼き鳥の味になる。

買うなら「珠洲産・珪藻土」と書かれたものを選ぶ。使い込むほど、肌の色が落ち着いてくる。石を育てる、という言い方がいちばん似合う道具かもしれない。

珠洲焼(すずやき)は、平安時代の終わりに始まった、釉薬をかけない焼き締めの陶器だ。能登の土を使い、焼くと土の鉱物が変わって、独特の黒みが出る。土が熱で別物になる様子を、器の肌で見られる。

能登を旅するときに知っておくこと

輪島朝市は、震災のあとの大火で大きな被害を受けた。珪藻土が輪島塗の下地になる、というつながりを、朝市で確かめられる日がまた来るといい。

道も宿も、まだ様子が変わり続けている。泊まるなら、先に予約を。

能登で七輪を買い、宿に泊まり、地元の海のものを食べる。それがそのまま、土地へのお返しになる。石を見に行く口実としては、出来すぎなくらいだ。

Q. 見附島のまわりで石を拾える?
拾わない。見附島は石川県の天然記念物で名勝、まわりは能登半島国定公園の中だ。崩れた珪藻泥岩の断面は、眺めるだけで十分におつりが来る。

石川の地図をもう少し広げるなら、手取川や白山まで載せた石川県で石を探すが入口になる。

石好き次郎から

珪藻土の話なら、いくらでもしゃべれる。なのに能登の記事は、書きながら何度も手が止まった。

ただ、能登はいま、地質の教科書である前に、復興の途中の土地だ。崩れた見附島を「面白い断面」と書くのは、少し気が引ける。

七輪の白い肌は、1,400万年前の海の底だ。そう思って眺めると、ただの台所道具が急に古文書に見えてくる。石は、拾わなくても付き合える。

行くのは、道が通じてからでいい。崖は形を変えても、どこにも行かない。

石好き次郎
七輪の珪藻土は1,400万年前の能登の海から、その上で焼く魚はいまの能登の海から来た。器と中身の出どころが同じ海というのは、なかなか贅沢な話だ。

公式確認先

行き方や料金のもとにしたページを置いておく。変わっていたら、こちらが正しい。

2024年能登半島地震の地質調査(産総研)

能登の地質資料

観光・復興情報

最終公式確認:2026年7月23日

石好き次郎のおすすめ
石好き次郎のおすすめ
能登の浜に降りられる日までは、同じ日本海の、拾える浜へ行く。富山の朝日町のヒスイ海岸なら、駅から歩いて波打ち際に立てる。

関連記事

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

コメント

コメントする

目次