スターリンが競売にかけたロマノフ王朝の宝石——ソビエトはなぜ帝室の石を売ったのか

スターリンが競売にかけたロマノフ王朝の宝——石の物語写真

ソビエトが帝室の宝石を売った理由は、拍子抜けするほど実務的だ。トラクターを買う外貨が欲しかった。宝石と「呪い」の噂の話はホープダイヤモンドの呪いの真実に書いた。こちらは呪いより生々しい。始まりは、ボルシェビキが8個の封印された木箱を開けた日だ。

中身は、1914年の第一次世界大戦開戦と同時に梱包されたロマノフ家の王冠宝石だった。8年ぶりに、石が光を浴びた。

1917年のロシア革命は、300年続いた王朝と一緒に、指折りの宝石コレクションを終わらせた。皇帝・皇后・皇族が代々ためてきた石は、新政権にとって「農耕機とトラクターに換えるための外貨」だった。王冠の価値を、鋤の数で数えた政府だ。

目録に載ったのは、ダイヤモンド・エメラルド・サファイア・ルビー・翡翠・真珠など773点。そのうち569点が、1920年代後半から売りに出された。残りの204点は、いまもモスクワのダイヤモンド基金にある。

買い手が買ったのは、石だけではない。「ロシア皇帝が持っていた石」という来歴(プロベナンス)ごと買った。来歴に値がつく。宝石の世界の古い決まりが、これほど派手に効いた例はほかに思いつかない。

目次

「農耕機・機関車・トラクターに換える」——ソビエトの論理

1920年代後半、外貨を急ぐソビエト政府は、ニューヨーク・ロンドン・アントワープ・パリの宝石商をモスクワに呼んだ。1927年前後のニューヨーク・タイムズには、欧米の買付団がゴフラン(国家貴重品保管所 Gokhran)で宝石を査定する様子が載る。皇帝の宝物庫に、値踏みする外国の商人が並ぶ。妙な光景だ。

ソビエト側の担当者の言葉として残るのが、「私たちはこれらの宝石を鋤・機関車・トラクターに変えたい」だ。ロマノフ300年の蓄積が、農業を機械にする資金として計算された。言い方はまっすぐで、計算にも狂いはない。そこが怖い。

英語・フランス語・ドイツ語のカタログ

1925〜1926年、ソビエト政府は「ソ連のダイヤモンド基金(Diamond Fund of the USSR)」という豪華な写真カタログを4冊出した。

英語・フランス語・ドイツ語に訳してある。誰に売りたいのか、隠す気もない。

石好き次郎
「歴史のある石は値が上がるか」と聞かれたら、上がる、と答える。ただし、その歴史が証明できればの話だ。証明できない来歴は、ただの言い伝えになる。

「9.644kgを5万ポンドで買った男」

このカタログに飛びついたのが、ハンガリー系のロンドンの宝石商ノーマン・ワイス(Norman Weisz)だ。カタログを見て石を買う。いまの通販と、やることは変わらない。

買ったのは9.644kg分の宝石(ダイヤモンド・装飾品含む)。払ったのは5万ポンド(1926年10月、英米シンジケートを通じて)。本来の価値の、ごく一部だ。皇帝の宝石を、キロで量って買った。

ワイスと仲間たちは、パートナーシップを解くために、1927年3月16日、ロンドンのクリスティーズで124ロットを競売にかけた。競売の題には、はっきり「ロシア国家の宝石」と入っていた。

総落札額は約8万561ポンド。帝室の結婚式の冠(Nuptial Crown)、ダイヤモンドのティアラ、エカテリーナ2世のジュエリーが、世界中のコレクターに散った。5万で買って、8万で売る。商売の数字としては、きれいすぎる。

1929年、ロシアの亡命貴族オルガ・パレイ妃が「ソビエトは所有権のない財産を売っていた」とワイスを訴えた。勝ったのは、ワイスだった。

消えた石たちの行方

エカテリーナ2世の389粒の真珠のネックレスは、カルティエを経て、米国の自動車王ホレス・ドッジが1920年に妻への贈り物として82万ドルで買った。ドッジの死後は5人の孫に分けて相続され、ばらばらになった。389粒は、いまどこで何粒ずつなのか。

マリア・パヴロヴナの200カラット超のサファイアは、1928年にカルティエがモスクワで買い、オペラ歌手ガンナ・ワルスカに売った。1971年の再競売のあと持ち主を何人も替え、のちにカルティエが買い戻したと伝わる。石は、元の店に帰ってきた。

グランド・ダッチェス・マリア・パヴロヴナのエメラルド類は、1918〜1919年の革命期、ロシアを脱出するときに密かに持ち出された。いくつかはカルティエなどで切り直され、組み直され、2010年代〜2020年代にまたオークションに出てきた。形を変えても、名前はついてくる。

「ヴラディミール・ティアラ」——外交郵袋で国を出て、女王の頭へ

ヴラディミール・ティアラは、1874年頃、ロシア宮廷御用達の宝石商ボーリン(Bolin)がグランド・ダッチェス・マリア・パヴロヴナのために作った。ダイヤモンドに15個の吊り下げ真珠。当時の費用は48,200ルーブル。

1917年の革命のあと、一家の友人だった英国の諜報員が、ヴラディミール宮殿の秘密金庫から宝飾品を取り出し、外交用郵袋でロシアから運び出した。映画の筋書きのようだが、記録の話だ。マリア・パヴロヴナは1920年、フランスで亡くなった。

1921年、娘のエレーナ・ヴラディーミロヴナ(プリンセス・ニコラス・オブ・ギリシャ)が、このティアラとダイヤモンド・リヴィエールを英国王妃メアリーに2万8,000ポンドで売った。亡命した一家の暮らしは、石を手放して回るしかなかった。

いまも英国王室の正式な宝飾品として受け継がれ、エリザベス2世女王が最も愛用したティアラの一つだ。エメラルドか真珠の吊り下げを付け替えられる仕組みは、メアリー王妃の指示でギャラード社が加えた。皇女のティアラが、女王の普段使いになった。

ドミトリー・イワノフの自殺

武器庫(Armoury)の責任者ドミトリー・イワノフは、1922年の目録づくりに加わり、1927年から始まった大量売却を止めようと訴え続けた。届かなかった。1929年12月に職を解かれ、翌1930年1月に亡くなった。自ら命を絶ったと伝わる。

石好き次郎
革命で消えた宝石が、100年後にオークションに出てくることがある。誰かが隠し持っていたのだ。石は人間より長生きする。持ち主が何人替わっても、石は平気な顔をしている。

773点中、売られた569点

最後の数字はこうだ。773点のカタログ掲載品のうち569点(73%)が1920〜1930年代に売られた。残った204点は、モスクワ・クレムリンの「ダイヤモンド基金」に並ぶ。ロシア帝室コレクションの4分の3は、いま世界中の個人コレクション・美術館・競売市場に散らばる。4つに3つは、もう帰らない。

売る側も、買う側も、商売人だった

売り込みは周到だった。先のカタログは、鉱物学者アレクサンドル・フェルスマン(Fersman)がまとめた『Russia’s Treasure of Diamonds and Precious Stones』で、欧米の富裕層とディーラーに直接届けられた。1927年のクリスティーズを皮切りに、売却は1930年代を通じて続いた。

窓口は、はじめはゴフラン(Gokhran)、のちに外貨を稼ぐための貿易組織アンティクヴァリアート(Антиквариат)。売る側も、買う側も、商売人だった。

買い手の多くは欧米の富裕層・王室・カルティエのような大手宝飾ブランドだった。旧体制の宝石を新政権が換金する。清朝末期の宝物流出や朝鮮王室の宝物散逸とも重なる、20世紀前半に何度も繰り返された話だ。

ロマノフの石は、いまどこにあるか

品目特徴現在の所在
ヴラディミール・ティアラダイヤ×パール英国王室(現役使用中)
ハットン翡翠ネックレス翡翠ビーズ27個2014年に約28億円で落札(ロマノフ由来ではない)
ロマノフのルビー類帝政時代の宮廷装飾品欧米の個人・博物館に分散
ダイヤモンドコレクションファベルジェとの組み合わせモスクワ・クレムリン宝庫ほか
残った204点売られなかった石モスクワのダイヤモンド基金

革命政府による接収——宝石の所有者が変わった日

革命後のボルシェビキ政権は「宝石は労働者の血で染まった搾取の象徴」という理屈で、ロマノフの宝物庫を接収した。ダイヤモンド・サファイア・エメラルドの箱が次々と国の管理に移り、換金の対象になった。石からすれば、持ち主の名札が替わっただけだ。

表の補足——翡翠、ファベルジェ、エカテリーナ

念のため書いておく。ハットン=ムディヴァニ・ネックレスは、ロマノフの宝石ではない。27個の大きな翡翠ビーズのネックレスで、何度かのオークションを経て、2014年に約2.14億香港ドル(約28億円)で落札された。表に並べたのは、来歴が値段をどこまで押し上げるかの物差しとしてだ。

表の「ダイヤモンドコレクション」は、石だけで見ないほうがいい。ロマノフのダイヤモンドは、ファベルジェが作った宮廷の装飾品と組み合わさって値打ちが高かった。皇帝の石、ファベルジェの細工、ロマノフの歴史。三つ重なって、ようやくあの値段になる。

コレクションには、18世紀にエカテリーナ大帝が集めた石も入っていた。彼女はヨーロッパから最高の石を集め、ロシアを宝石文化の中心にしようとした。その石が、一世紀あまりのちにトラクターになった。大帝が聞いたら、何と言うだろう。

石好き次郎から

ワイスが9.644kgの宝石を5万ポンドで買った話を読むたびに、値段とは何かを考える。同じ石が、誰がどの文脈で売るかで、値段が100倍変わる。革命は、その文脈ごと壊した。

スターリンが宝石を換金した動機は、外貨だけではなかった。「帝国主義の遺産を清算する」という意味もあった。皮肉なのは、その石がいまも欧米の富裕層のあいだで値を上げ続けていることだ。革命の宝石を、資本主義がきれいに飲み込んだ。

石の商いを長く横で見てきた目で言うと、値段は石の性質だけでは決まらない。時代と持ち主が石に着せる物語で決まる。ロマノフの石がいまも高く動くのは、革命という物語ごと売られるからだ。私も石を選ぶとき、その石が何を見てきたかを、つい聞きたくなる。河原の石なら、答えは川だけだが。

石好き次郎
私の棚の石に、王家の来歴はない。多摩川の河原にあった、というだけだ。それでも、その石が何億年前にできたかは分かる。歴史の長さなら、こちらが勝つ。
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石に着せた物語で値が動くなら、いちばん派手な例はホープだ。ホープダイヤモンドに呪いはなかったで、その物語がどこで作られたかが分かる。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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