スターリンが競売にかけたロマノフ王朝の宝石——ソビエトはなぜ帝室の石を売ったのか

スターリンが競売にかけたロマノフ王朝の宝——石の物語写真

ボルシェビキが8個の封印された木箱を開封した。独裁者の宝石ホープダイヤモンドの呪いの真実

1914年に第一次世界大戦開始とともに梱包されたロマノフ家の王冠宝石が、8年ぶりに日の光を見た。

目次

「農耕機・機関車・トラクターに換える」——ソビエトの論理

1920年代後半、外貨獲得を急ぐソビエト政府は、ニューヨーク・ロンドン・アントワープ・パリから宝石商をモスクワに呼び寄せた。1927年前後のニューヨーク・タイムズ記事には、欧米の買付団がモスクワのゴフラン(国家貴重品保管所 Gokhran)で宝石を査定した様子が記録されている。

ソビエト側の実務担当者の言葉として残るのは:「私たちはこれらの宝石を鋤・機関車・トラクターに変えたい」という意図——ロマノフ300年の蓄積が「農業機械化の資金」として計算された。

英語・フランス語・ドイツ語のカタログ

1925〜1926年、ソビエト政府は「ソ連のダイヤモンド基金(Diamond Fund of the USSR)」という豪華な写真カタログを4冊発行した。

英語・フランス語・ドイツ語で翻訳し——欧米の富裕層に売り込むために。

「9.644kgを5万ポンドで買った男」

ハンガリー系のロンドンの宝石商ノーマン・ワイス(Norman Weisz)がこのカタログを見て飛びついた。

購入量:9.644kg分の宝石(ダイヤモンド・装飾品含む)。 支払い価格:5万ポンド(1926年10月、英米シンジケートを通じて)——本来の価値のごく一部で。

ワイスとパートナーたちは、パートナーシップ解消のため1927年3月16日、ロンドンのクリスティーズで124ロットを競売にかけた。オークション名は「An Important Assemblage of Magnificent Jewellery…Russian State Jewels」。総落札額は約£80,561——帝室の結婚式の冠(Nuptial Crown)・ダイヤモンドのティアラ・エカチェリーナ2世のジュエリーなどが世界中のコレクターの手に渡った。

1929年、ワイスはロシア亡命貴族のオルガ・パレイ妃から「ソビエトが所有権のない財産を売っていた」と訴訟を起こされたが、勝訴している。

消えた石たちの行方

エカテリーナ2世の389粒の真珠のネックレスはカルティエが購入し、米国・自動車王ホレス・ドッジが1920年に妻へのプレゼントとして82万ドルで購入、ドッジ死後は5人の孫に分割相続されバラバラに散った。

帝室伝来のダイヤモンド・真珠ティアラの一部は1927年クリスティーズで競売され欧州貴族の手に渡り、20世紀後半に複数のコレクターを経由、一部はフィリピンのマルコス一族の宝飾品コレクションに含まれていたと疑われ1986年の政権崩壊時に押収された分と重なる可能性がある(確定していない)。

マリア・パヴロヴナの200カラット超のサファイアは1928年にカルティエがモスクワで購入、オペラ歌手ガンナ・ワルスカに販売され、1971年に再競売を経て複数の所有者を経由し、2015年にカルティエが再取得して「ロマノフ・ブレスレット」として再生した。

グランド・ダッチェス・マリア・パヴロヴナのエメラルド類は1918〜1919年の革命期にロシアから脱出する際に秘密裏に持ち出され、複数のピースはカルティエ等によって再カット・再設定され、2010年代〜2020年代に再びオークション市場に登場している。

「ヴラディミール・ティアラ」——今も英国王室が使う盗まれた宝

グランド・ダッチェス・マリア・パヴロヴナのために1874年頃にロシア宮廷御用達の宝石商ボーリン(Bolin)が製作したヴラディミール・ティアラ(ダイヤモンド+15個の吊り下げ真珠・オリジナル費用48,200ルーブル)。

1917年の革命後、家族ぐるみの友人だった英国の諜報員がヴラディミール宮殿の秘密金庫から宝飾品を取り出し、外交用郵袋でロシアから密出させた。マリア・パヴロヴナは1920年フランスで死去。

1921年、娘のエレーナ・ヴラディーミロヴナ(プリンセス・ニコラス・オブ・ギリシャ)がこのティアラとダイヤモンド・リヴィエールを英国王妃メアリーに£28,000で売却

現在も英国王室の正式な宝飾品として伝承され、エリザベス2世女王が最も愛用したティアラの一つだ——エメラルドまたは真珠の吊り下げを付け替えできる機構がメアリー王妃の指示でギャラード社によって加えられた。

ドミトリー・イワノフの自殺

武器庫(Armoury)の責任者ドミトリー・イワノフは1922年の目録作成に参加し、1927年から始まった大量売却を止めようと懸命に訴えた。しかし届かなかった。1930年、次の大規模売却が決まったと聞いたイワノフは——自殺した。「ロシアの宝が売り飛ばされるのを見ていられなかった」。彼の名前はソビエトの公式記録から消された。

石好き次郎
良い石には理由がある。スターリンが競売にかけたロマノフ王朝の宝の理由は、地球が何億年もかけて作った条件にある。

773点中、売られた569点

最終的な集計:773点のカタログ掲載品のうち569点(73%)が1920〜1930年代に売却された。残った204点が現在モスクワ・クレムリンの「ダイヤモンド基金」に展示されている。「ロシア帝室コレクションの4分の3は現在、世界中のプライベートコレクション・美術館・競売市場に散っている」

ソビエト宝石売却の実態

現代ロシアの研究者・歴史家らの調査(Alexander Mosyakinら)によれば、ソビエト政府は1925年にFersman(アレクサンドル・フェルスマン)教授による写真付きカタログ『Russia’s Treasure of Diamonds and Precious Stones』を英・仏・独語で出版し、欧米の富裕層・ディーラーに直接売り込んだ。1927年のクリスティーズ競売を皮切りに、1930年代を通じて組織的な売却が続いた。

売却担当は当初Gokhran(国家貴重品保管所)、後に外貨獲得専門の貿易組織アンティクヴァリアート(Антиквариат)が担った。ニューヨーク・ロンドン・パリ・アントワープの宝石商がモスクワに集まり、値切り合戦を繰り広げた様子は1927年前後のニューヨーク・タイムズやロンドン・タイムズに記録されている。

買い手の多くは欧米の富裕層・王室・大手宝飾ブランド(カルティエなど)で、ロマノフ伝来という由緒は現在もオークション市場で価格を押し上げる要因になっている。「旧体制の宝石を新政権が換金する」——清朝末期の宝物流出や朝鮮王室の宝物散逸とも重なる、20世紀前半に世界中で繰り返された現象だ。モスクワのダイヤモンド基金(Diamond Fund of the Russian Federation)は現在も残存する約200点の帝室宝石を所蔵し、クレムリン内で公開展示している。

石好き次郎
ロマノフ王朝の宝石がスターリン時代に競売にかけられ、残りがクレムリンで展示されている——石は政権を超えて存在し続ける。「権力者の石」は権力者が変わっても残る。石が記録する歴史は、人間の歴史より長い。

石好き次郎から

ノーマン・ワイスが9.644kgの宝石を5万ポンドで買った話は「価格とは何か」を問いかける。同じ石が、誰がどの文脈で売るかによって価値が100倍変わる——革命という「文脈の崩壊」が起きたとき、皇帝の宝石が農業機械の代金になった。

スターリンが宝石を換金した動機は単純ではなかった。外貨獲得という実用目的の他に、「帝国主義の遺産を清算する」というイデオロギー的な意味もあった。しかし皮肉なことに、その宝石を買った欧米の富裕層は今も価値を高め続けている——資本主義が革命の宝石を吸収した。

「良い石には理由がある」——ロマノフの宝石の理由は、帝国300年の権威と、それを農業機械の代金に換えた革命の皮肉にある。石は時代を越えて語り続ける。

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石好き次郎

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