石の物語– category –
歴史・文化・人間と石のドラマ
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石の物語
伊勢神宮と宝石——神様に捧げられた石の正体
伊勢神宮の境内を歩くと、参道の足元に白い玉砂利が敷き詰められている。この石は「お白石(おしらいし)」と呼ばれ、伊勢を流れる宮川の河床から採取した白い礫だ。20年に一度の式年遷宮では、全国から百万人以上の参拝者が宮川の白い石を布袋に入れて運... -
石の物語
足尾銅山の鉱物——孔雀石・藍銅鉱・黄銅鉱が標本市場で評価される理由
栃木県日光市足尾——かつて「東洋一の銅山」と呼ばれたこの地は、明治から昭和にかけて日本の近代化を支えた鉱山の街だ。江戸時代から400年以上の採掘史を持ち、日本の産業史の縮図ともいえる場所だ。1973年の閉山から50年以上が経過した今も、足尾銅山跡は... -
石の物語
江戸時代の日本人は宝石をどう使っていたか——刀装具・印籠・根付の美学
江戸時代、宝石を身に着けることは「身分を超えた贅沢」として幕府に制限されていた。しかし人間の装飾欲求はどんな制度にも勝る——刀の鍔に翡翠を嵌め込み、根付に水晶を彫り、印籠に珊瑚を施す。形を変えながら、江戸の人々は宝石を日常の中に溶け込ませ... -
石の物語
山梨県甲府市がジュエリーの都になった理由——戦国時代の水晶細工から世界の宝飾産業へ
山梨県甲府市。人口19万人のこの地方都市が、なぜ「日本のジュエリーの都」として世界に知られているのか。 甲府市のジュエリー生産額は日本全体の約30〜40%を占め、地場産業として宝石加工が根付いている。市内には宝飾品メーカーが約300社集積し、銀座・... -
石の物語
御木本幸吉が「真珠帝国」を作るまで——三重県が世界の真珠市場を支配した100年
1893年、三重県鳥羽の海。御木本幸吉が世界初の真珠養殖に成功した瞬間、「宝石は自然が作るもの」という常識が崩れた。それまで真珠は「偶然の産物」だった——アコヤ貝が砂や異物を取り込み、何年もかけて層を重ねることでできる宝石。御木本はその「偶然... -
石の物語
戦国大名が城郭に使った石垣の石——花崗岩・安山岩・凝灰岩の選定基準
戦国時代の城を見ると、石垣の巨石に圧倒される。徳川大坂城・姫路城・熊本城——それぞれの石垣の石は地元の地質に根ざした素材だ。花崗岩・安山岩・凝灰岩・砂岩——城郭の石垣は石好きにとって「産地の地質が歴史に残った博物館」でもある。どの石が選ばれ... -
石の物語
三陸海岸の石——拾えない黒い碁石と、岩盤から生えるトルマリン。600kmの地球の年表
三陸海岸に来て、石を拾えないことがある。 岩手県大船渡市の碁石浜は、黒い玉砂利が浜に敷き詰められた海岸だ。その黒い石は国の名勝及び天然記念物に指定されており、持ち帰ることが禁止されている。「この石はここでしか見られない」——そういう石がある... -
石の物語
玉造川のメノウ——島根・玉造温泉は日本の勾玉文化が生まれた「石の聖地」だった
「玉造」という地名が石の話だと気づいたのは、温泉街を歩いたときだった。 島根県松江市玉湯町の玉造温泉——この地名の由来は、近くの花仙山(かせんざん)で良質の青瑪瑙(青メノウ)が採れたことにある。この地の人々が「玉造り」——勾玉を作ることを生業... -
石の物語
死後も翡翠に埋もれた——西太后の「1億個の翡翠」と盗掘された清朝の墓
1928年7月上旬、中国・河北省遵化——資料により日付は前後する(多くの中国語史料は6月8日または7月12日と記録)。 軍閥・孫殿英(そんでんえい)が「軍事演習」という名目で2万人の兵を東陵(清朝皇帝の陵墓群)周辺に配置した。実際の目的:慈禧太后(じ... -
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スターリンが競売にかけたロマノフ王朝の宝石——ソビエトはなぜ帝室の石を売ったのか
ボルシェビキが8個の封印された木箱を開封した。独裁者の宝石ホープダイヤモンドの呪いの真実。 1914年に第一次世界大戦開始とともに梱包されたロマノフ家の王冠宝石が、8年ぶりに日の光を見た。 「農耕機・機関車・トラクターに換える」——ソビエトの論理 ...
