伊達政宗の石垣が2011年に崩れた——仙台城と涌谷の金、1000年分の石の記録

宮城の石と地質——産地の歴史写真
石好き次郎
2011年の地震で、仙台城の石垣が崩れた。伊達政宗が築いた城の石垣だ。何百年も立ってきた石垣が、1000年に一度と言われる揺れで動いた。

宮城の石でいちばんおもしろいのは、日本の金の話がここから始まることだ。749年(天平21年)、陸奥国小田郡(いまの宮城県涌谷町付近)で金が見つかり、陸奥守・百済王敬福が聖武天皇に献上した。国内で産出が記録された最初の金だ。その金が、奈良の東大寺大仏の鍍金(めっき)に使われた。

「国内に金は無い」と思っていた聖武天皇は、神仏の加護だと大喜びしたという。13世紀、マルコ・ポーロは「東方見聞録」で日本を「ジパング(黄金の国)」と書いた。そのイメージの源の一つが、宮城・岩手一帯の「みちのくの金」だったと言われる。黄金の国の噂をたどると、東北の山に行き着く。

この話を知ってから、棚の石を見る目が少し変わった。金鉱石という石ころが、世界の噂を作った。コロンブスまでつなげる話もあるが、そこまで言うと盛りすぎだ。2011年に崩れた政宗の石垣の話は、金のあとで書く。

この記事は読み物だ。宮城の河原や浜で実際に拾うなら、宮城で石を拾える場所はある?日本初の産金地・涌谷と、化石の海岸のほうが役に立つ。

目次

みちのくの金は、日本史の真ん中にいた

宮城の金は、日本史の主役のそばにいつもいた。749年の大仏の鍍金、平安末期の奥州藤原氏の平泉、戦国〜江戸の伊達政宗の財政、明治の鹿折金山「モンスターゴールド」。千年以上、出番が途切れない。

「モンスターゴールド」は、1904年(明治37年)に気仙沼市の鹿折金山で出た金鉱石だ。重さ約2.25kg、金の含有量83%。ふつうの金鉱石は1トンあたり数グラムだから、これはもう鉱石というより金の塊だ。

平泉と政宗を支えた金

年代出来事場所石好きとしての注目点
749年(天平21年)国内初の金産出、東大寺大仏の鍍金に使用宮城県涌谷町付近日本「金の歴史」の出発点
平安末期〜鎌倉奥州藤原氏の「平泉黄金文化」全盛期宮城〜岩手中尊寺金色堂を支えた東北の金
戦国〜江戸初期玉山金山・鹿折金山が伊達政宗の財政を支援気仙沼市・岩手武将の勢力と金鉱石の関係
1904年(明治37年)鹿折金山でモンスターゴールド産出(重さ2.25kg・金83%)気仙沼市鹿折世界的な高品位金鉱石標本

奥州藤原氏が平泉に「黄金の都」を築けたのも、東北の金山から金が出続けたからだ。藤原清衡が建てた中尊寺金色堂(1124年)は、内も外も金箔で覆った阿弥陀堂。東北の金が、そのまま建物になった。

伊達政宗も金山に力を入れた。玉山金山(岩手)・鹿折金山(宮城気仙沼)などを直轄で管理し、金を藩の財政の柱にした。幕府への献金も、仙台城の建設も、軍備も、裏で支えたのは山の金鉱石だ。

なぜ宮城・東北に金が多いのか——北上山地の地質

宮城の金の多くは北上山地(きたかみさんち)から来る。岩手〜宮城の太平洋側に広がる古い山地で、古生代〜中生代の変成岩・堆積岩・花崗岩が入り組む。そこへ熱水が通り、岩の割れ目に金を沈めた。熱水性金鉱床だ。

川の砂から砂金が出るのは、その鉱床が川に削られて流れたからだ。宮城・岩手の川では、いまも砂金が採れる。皿一枚あれば、週末の遊びになる。粒が見えるかどうかは、また別の話だ。

北上山地の主な金鉱床と現在の状況

北上山地の金山は、もうどこも掘っていない。それでも跡地や資料館で見られる。鹿折金山(気仙沼市)は地域の歴史遺産として残り、跡地のまわりに案内がある。涌谷町の黄金山神社は749年の金ゆかりの神社で、隣の天平ろまん館に金の歴史の展示がある。

宮城では、北上川水系の支流などで砂金採りの記録がある。手作業で少し採るくらいなら、川は自由使用とされることが多い。気をつけるのは私有地・国有林・権利の設定された区域と、閉山した鉱山のズリ山。どれも持ち主がいる。この記事の注意書きは、ここだけにしておく。

仙台城(青葉城)の石垣——石が政宗の城を守る

仙台城(青葉城)は、伊達政宗が慶長5年(1600年)ごろから築き始めた山城だ。青葉山の断崖を使った地形の城で、天守は築かれなかった。崖が天守の代わりをした。石垣は安山岩質の石材が主体で、野面積みから算木積みまで、時代ごとの積み方の変化が一か所で見られる。

石垣の安山岩は、仙台周辺の火山性の地質から来た石だ。硬くて長もちし、全国の城で使われた。城の石垣は、その土地の地質の見本帳になる。

本丸跡には、騎馬像の政宗と石垣の遺構が残る。この石で城を守り、山の金で国を回した。守りは石、懐は金。宮城の石の両面が、あの場所に詰まる。

城跡は観光地として整い、石垣の解説板も多い。一つ足すなら、石の種類を見ることだ。積み方の変化と石材の産地を重ねると、城の歴史が地質の歴史に見えてくる。観光が、少し地味で楽しい調べものに変わる。

宮城の地質と石採集——三陸・北上山地を歩く

宮城の地質は三つに分かれる。東の三陸海岸は、白亜紀〜第三紀の堆積岩・火山岩が削られたリアス式の海岸。北の北上山地は、古生代の変成岩・花崗岩が土台。西の蔵王山系は火山で、安山岩・玄武岩・火山弾が出る。

三陸海岸の礫拾いは、石好きの定番だ。波に磨かれた砂岩・泥岩・チャート・頁岩・凝灰岩。運がよければ、化石入りの石灰岩も混じる。狙うなら、砂浜より岩礁の端。削られやすい岬の先あたりに礫がたまる。

宮城で石を拾うなら、北上山地を流れる川と、三陸海岸。北上山地には日本最古級の岩石が含まれ、花崗岩・石灰岩・チャート・蛇紋岩が分布する。砂金の出る川もある。地味な灰色の河原ほど、話が古い。

金と、金に化けた石の見分け方

金(Au)は比重19.3、モース硬度2.5〜3のやわらかい金属だ。よく延び、よく広がる。金1gを延ばすと約3,000mの細い線になる。重くて、やわらかくて、錆びない。人がほしがる理由は、だいたいこれで足りる。

天然の金の出方は、一つではない。そのままの自然金もあれば、石英の割れ目に金が入った石もある。カラベライトのように、テルルと結びついた金の鉱物もある。出回る金鉱石の多くは白い石英脈に細かい金が散ったタイプで、肉眼では見えないことも多い。粒が見えるものは「可視金」と呼ばれ、標本として値打ちが高い。

河原で金色に光ったら、まず黄鉄鉱(パイライト)を疑う。「愚者の金」と呼ばれる石だ。比重は金19.3に対して黄鉄鉱5.0、硬度は金2.5〜3に対して黄鉄鉱6〜6.5。刃物で傷がつけば金、つかなければ黄鉄鉱。たいていは、つかない。

仙台・涌谷・気仙沼をつなぐ

回るなら、東北新幹線で仙台に出て、そこからレンタカーが早い。日帰りでも1泊2日でも組める。

仙台市内なら、まず仙台城跡の石垣。安山岩・凝灰岩の石材を間近で見られ、積み方の変化も追える。仙台市博物館には伊達家と仙台の歴史の展示があり、城跡に行く前の下調べにちょうどいい。

涌谷町(宮城県北部)では、黄金山神社と天平ろまん館の「みちのくの金」の展示。仙台から車で約1時間なので、日帰りに組み込める。日本の金の出発点にしては、静かな町だ。

気仙沼では、鹿折金山の跡地のまわりも訪ねられる。坑道跡は立入禁止だが、金山の歴史の案内板がある場所もある。2.25kgの金の塊が出た土地にしては、案内板一枚の静けさだ。

石好き次郎
崩れた石垣は、石に番号を振って元の位置に戻す。「同じ石を、同じ場所に」——それが修復の原則だ。1個でも入れ替えたら、それはもう別の石垣だ、という考え方だ。

金属の光る石を集めるなら

自然金・黄鉄鉱・黄銅鉱・方鉛鉱・閃亜鉛鉱。金属光沢の鉱物は、宝石とはちがう光り方と重さを持つ。手に乗せた瞬間の、ずしっとくる重さが楽しい。宝石好きとは、少し別の人種が集める石だ。

宮城の金の話を追うと、石と歴史が急につながる。石ころ一個が国の財布になり、寺になり、城になった。そう思うと、河原の石英脈のかけらを捨てるのが少し惜しくなる。

よくある質問

Q&A——仙台城の石垣を見る

Q. 仙台城跡で石垣を見られる?A. 見られる。本丸跡・大手門跡のあたりに石垣が残る。騎馬像の政宗と石垣が見渡せる本丸広場は無料。本丸跡の「仙台城見聞館」では石垣修復の解説も見られる。

仙台の近くで、石を見る場所

宮城には石や金の話を見られる施設がいくつかある。東北歴史博物館(多賀城市)は東北の鉱山史と金の歴史、仙台市博物館は伊達家と仙台の歴史、仙台市科学館は宮城の地質。雨の日は、ここで下調べをしておく。

宮城の金の話は、どれも北上山地という土台があって起きたことだ。歴史の主役は人だが、舞台を用意したのは地質だった。

仙台の近くには「七ツ森(ななつもり)」という独立した丘の群れがある。火山岩の貫入でできた地形で、周りの川原では安山岩・玄武岩の礫が見られる。仙台から日帰りで、石を見に歩く先の候補になる。

「松島石」と呼ばれる凝灰岩もある。松島の島々を作る穴の多い凝灰岩で、加工しやすく、昔から建材に使われてきた。あの島影は、やわらかい凝灰岩が波に削られた結果だ。絶景の正体は、削られやすさだった。

石好き次郎から

涌谷で金が出るまで、金は海の向こうから来るものだった。

しかも砂金だった。鉱脈を掘ったのではない。川の砂に混じった金を、比重で選り分けた。皿を振る側の人間としては、千年以上前にもう同業者がいた、と勝手にうれしくなる。

仙台城の石垣は、地元の凝灰岩と安山岩でできている。2011年の地震で一部が崩れ、修復には当時と同じ石が使われた。新しい石のほうが楽なのに、そうしない。そこが好きだ。

涌谷の黄金山神社には「このあたりで日本最初の金が出た」と書かれている。派手さはない。金の始まりの場所が地味なのは、かえって信用できる。

石好き次郎
金華山にも黄金山神社がある。だが749年に金が出たのは涌谷で、その金が奈良の大仏に使われた。宮城の山が、奈良の仏を金色にした。
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涌谷の砂金が、そのあと何になったか。奈良の大仏を作った金は東北の砂金だったで、千年以上前の同業者の金が都の仏を金色にした話を追える。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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