三重で石を探す|日本一長い砂礫海岸と、日本最大級の恐竜が出た海岸

三重の海岸(イメージ)

三重で石を探すなら、拾うのは川の河原、掘るなら鳥羽の体験施設、見るなら鬼ヶ城や月出の中央構造線だ。日本一長い砂礫海岸の七里御浜は、許可を得た人が拾う浜なので、ここでは拾う場所として案内しない。

七里御浜は、熊野市から紀宝町まで色とりどりの小石が20キロ以上続く。石好きなら誰でも足が止まる。止まって、眺めて、置いていく。そういう浜もある。

そのかわり三重には、他県に無いものがある。日本最大級の恐竜化石と、日本最大の陸上哺乳類。どちらもこの県から出た。恐竜のほうは、化石を研究する4人が、海岸で見つけた。

目次

県の石は三つ——熊野酸性岩類、辰砂、ミエゾウ

日本地質学会が2016年に選んだ「県の石」で、三重の岩石は熊野酸性岩類。約1500万年前の巨大なカルデラ火山の活動でできた火成岩の体で、東紀州に流紋岩質の溶岩や火砕岩を残した。

隣の和歌山の岩石も、同じ1500万年前の火成岩類だ。県境は人間が引いた線で、火山は気にしていない。

ミエゾウ——1882年に三重で見つかった、日本最大の陸上哺乳類

化石はミエゾウ。学名は Stegodon miensis(ステゴドン・ミエンシス)で、種小名に三重の名が入る。

ミエゾウが生きていたのは、MieMuの説明では約430万〜300万年前。日本地質学会は「およそ350万年前」とする。どちらにしても、人類がまだアフリカにいた頃の話だ。

大きさが桁違いだ。全長8メートル、体高4メートル。日本で化石が見つかった陸上の哺乳類としては、史上最大だという。キリンより少し背が低いくらいのゾウが、三重を歩いていた。

学名に三重が入ったのは、1882年に三重県内ではじめて見つかったからだ。産地は津市、亀山市、伊賀市、鈴鹿市、桑名市など。地層は東海層群(三重県側では奄芸層群)。

MieMuには、各地で掘られた化石を3Dスキャンで集めて組んだ、ミエゾウの全身骨格復元標本がある。国内で初めての全身骨格だ。

辰砂——東大寺の大仏を金色にした水銀

鉱物は辰砂(しんしゃ)。産地は多気郡多気町の丹生(にう)鉱山だ。硫黄と水銀の化合物で、比重は約8、モース硬度は2〜2.5と軟らかい。

歴史が古い。『続日本紀』には、698年に朱砂を、713年に水銀を献上した記録が出てくる。

奈良の大仏の金めっきに使われた水銀は、『東大寺要録』に残る数字では5万8620両——約2.2トン。その大部分は、伊勢国飯高郡の丹生のあたりから出たと考えられている。

日本地質学会は丹生の水銀だと言い切り、県は推定にとどめる。私は推定のほうに乗っておく。言い切りたくなる話ほど、半歩引いて聞く。

1988年に調べられた丹生の若宮遺跡は16世紀中頃のもので、水銀精錬に関わる珍しい遺跡とされる。「水銀のたぬき掘り」と呼ばれる斜坑の跡は、多気町の文化財「丹生水銀鉱採掘跡(日ノ谷)」になった。

ただ、坑道に入れるという案内は無い。丹生は掘りに行く場所ではない。丹生大師や丹生神社のまわりを歩いて、「丹」の字が地名に残った理由を考えるくらいでいい。

日本最大級の恐竜は、三重の海岸から出た

1996年7月14日、鳥羽市安楽島(あらしま)町の砥浜(とのはま)海岸で、恐竜の化石が見つかった。通称トバリュウ(鳥羽竜)。

見つけたのは、化石研究家の4人。高田雅彦、藤本艶彦、谷本正浩、金子篤の各氏だ。

出た骨の一覧が生々しい。尾椎4個、左右の上腕骨、左右の大腿骨、左橈骨、右脛骨、右腓骨、左座骨。右の大腿骨だけで128.0センチ。私の脚より長い。

そこから推定される大きさは、全長16〜18メートル、体重31〜32トン。日本で見つかった恐竜化石の中でも最大級で、竜脚類1頭分の骨がまとまって出たのも初めてだった。

分類はティタノサウルス上科まで絞られたが、科・属・種は決まっていない。30年たっても、まだ名前が無い。日本最大級の恐竜が、名無しのまま博物館にいる。

地層は松尾層群(鳥羽市の書き方では松尾層)。年代は白亜紀前期、約1億3千万年前だ。

石好き次郎
日本最大級の恐竜化石を見つけたのは、研究機関ではなく化石研究家の4人だった。しかも場所は海岸だ。20年石を拾ってきて思うのは、こういう発見は毎週歩いている人のところに来る、ということだ。

七里御浜——日本一長い砂礫海岸で、「拾っていい」とは書かれていない

七里御浜は熊野市・御浜町・紀宝町の3市町にまたがる。日本一長い砂礫(されき)海岸だ。砂礫海岸とは、粒の大きい砂や小石でできた海岸のこと。

長さは、熊野市は約22キロ、県の文化財課は熊野川河口までの約25キロとする。どこまで数えるかの違いだ。歩いて数える人は、たぶんいない。

ここの小石は「みはま小石」と呼ばれる。白いものは白那智といって、古くから庭の高級な敷石に使われてきた。

「拾い子さん」という言葉がある

みはま小石は「拾い子さん」の手で拾われ、お土産やアクセサリーになる。御浜町も熊野市も、同じ言葉を使う。

つまりこの浜には、石を拾う人を決める仕組みがある。許可を得た人が拾い、加工する人がいて、買う人がいる。

決まりの話はここだけ——国立公園の第1種特別地域

決まりの話は、この記事ではここにまとめる。七里御浜は吉野熊野国立公園の第1種特別地域を含み、自然公園法で土石の採取に許可が要る。そのうち152ヘクタールは車の乗入れ規制地区。浜の一部は林野庁の「七里御浜風致探勝林」という国有林でもある。

だから私は、七里御浜を「拾える浜」として案内しない。拾う人が決まった浜に、外から手を入れる理由が見つからない。

那智黒石の産地は、和歌山ではなく三重だ

碁石の黒石で知られる那智黒石は、名前に「那智」が付くが和歌山県産ではない。産地は三重県熊野市神川町だ。

中身は黒く細かく緻密な泥質岩。粘板岩が、噴き出した溶岩と接してできた、黒色硅質頁岩だ。出るのは熊野市神川町だけで、年代はおよそ2000万〜1400万年前。

始まりには言い伝えがある。神川町神上の山西徳之助が、硯を作って売ったのが最初だという。藩政の頃には一時採取が禁じられ、明治中期に解けた。

ややこしいのは、七里御浜に打ち上がる黒い玉石も「那智石」と呼ばれることだ。神川町で採掘する那智黒石と、浜に打ち上がる黒い丸石は、扱いとしては別物になる。

名前の行き違いと、辞典が28年ぶりに訂正されるまでの話は後白河上皇が34回歩いた熊野の石に書いた。

鬼ヶ城と獅子巌——海の削り跡が、陸に上がった岩

熊野市の鬼ヶ城は、国の名勝および天然記念物だ。1935年に指定され、1958年に獅子巌が加わって、正式名称は「熊野の鬼ケ城 附(つけたり)獅子巖」になった。

「附」という一字に、23年の時間差が残る。

石英粗面岩の大岩壁が、東西1.2キロにわたって続く。崖は一段2〜4メートルの6段の階段になっていて、段ごとに波が掘った洞窟がある。地面が何度か急に持ち上がった跡だ。海の削り跡が、海から離れた高さに並ぶ。

獅子巌は高さ25メートル、周囲210メートルの巨岩だ。隆起のため高いところに浸食のあとが見られる。獅子の横顔に似た形から名が付いた。

同じ岩に、名前が3つある

同じ岩に、名前が三つある。三重県は「石英粗面岩」、熊野市の観光案内は「凝灰岩の大岩壁」、日本地質学会は県の石の「熊野酸性岩類」に含め、流紋岩質の溶岩や火砕岩だと説明する。

石英粗面岩は流紋岩の古い呼び名で、凝灰岩は火砕岩の側を指した言い方だ。三つは矛盾しない。県と観光と学会で、同じ岩に三枚の名札。名札が三枚あっても、岩は一つだ。

世界遺産なのか、沿道の景色なのか

熊野市の観光公式は、鬼ヶ城と獅子巌を「世界遺産」と紹介する。一方、国の世界遺産の説明では、七里御浜道の「沿道」にある景勝地として出てくる。

構成資産そのものか、沿道の景色か。書き方は分かれる。石を見に行く側からすれば、どちらでも岩の迫力は変わらない。

ひとつだけ現実の話をすると、鬼ヶ城センターの第1駐車場は2025年11月10日から有料になった。

月出の中央構造線——断層の断面を、そのまま見られる

松阪市飯高町月出。中央構造線の露頭そのものが、2002年に国の天然記念物になった。断層の断面が指定された、珍しい例だ。

露頭は高さ約80メートル、幅約50メートル。中央構造線を境に、北側が領家帯の圧砕岩(マイロナイト)、南側が三波川帯の黒色片岩で、約60度の角度でじかに接する。日本列島の南と北が、ここで向き合う。

露頭が見えるようになった経緯も面白い。1959年の伊勢湾台風の崖崩れで一部が顔を出し、1995年から3年の治山工事で全面が見えるようになった。災害で出た断層を、工事で整えて残したわけだ。

県内の中央構造線は、紀ノ川の最上流から高見峠を越え、月出〜粥見〜多気町五桂のあたりを通って、伊勢湾の入り口を横切る。

松阪市にはもう一つ、市指定の「粟野・田引の中央構造線」もある。林道沿いに80メートルにわたって出ている。

川原で拾った石が緑色片岩か花崗岩かは、つまりこの線のどちら側から流れてきたかという話だ。境目そのものを一度見ておくと、河原の石の出どころに見当がつく。足元の一個が、急に地図を持ち始める。

川で拾うなら——上流を見れば、石の見当がつく

三重の川は、上流の地質がはっきりしている。「この川でこの石」とまでは言えないが、上流に何があるかが分かれば、河原で見当はつく。

櫛田川——中央構造線が流域を東西に走る

櫛田川は、流域の真ん中を中央構造線が東西に走る。線に沿って、幅100〜1,000メートルの圧砕岩が一直線に並ぶ。

線の南(上流)は黒色片岩・砂質片岩・緑色片岩、北(中・下流)は花崗岩。まるで別の川のように、石が入れ替わる。上流で緑と黒の片岩、下流で白っぽい花崗岩。歩く場所で、袋の中身の色が変わる川だ。

宮川・雲出川・鈴鹿川・員弁川

宮川の流域は、三波川帯と秩父帯、源流の一部に四万十帯。中央構造線の南側の地質でできた山から流れてくる。片岩やチャートが多い川だと見当がつく。河原の歩き方は、宮川で石拾いで。

雲出川は、上流が主に花崗岩で、中流に一志層群の砂岩や礫岩、下流は沖積層。河口から長野川の合流点あたりまでは砂で、礫が見えてくるのはそこから上だ。石を拾うなら、上へ行く。

鈴鹿川は山が花崗岩類で、支流の上流に秩父層群や三波川変成岩類の石灰岩もある。ただ河床は、花崗岩が風化したマサが主体。白っぽい砂の中から、色の違う一個を探す川だ。

員弁川の上流には、緑色岩や石灰岩を含む秩父層群と、竜ヶ岳から釈迦ヶ岳にかけての鈴鹿花崗岩類がある。

ふつうの河原で、手で少し拾うのは気にしなくていい。線引きの考え方は拾っていい石、置いて帰る石が早い。

伊勢神宮の白石は、宮川の河原から来る

式年遷宮のお白石持行事で納める白石は、紀伊山系の大台ケ原を源とする宮川の流域で拾う。

石の種類は「石英系白石」。水晶のように少し透き通った石肌の石だという。

大きさの目安まで決まる。大は約540グラム、中は約350グラム、小は約85グラム。ちょうどいい重さの白い石を、河原で目と手で量って選ぶわけだ。

驚くのは準備の長さだ。各町の奉献団は、行事の2〜3年前から宮川に出向き、拾い集めて準備する。条件に合う石だけを、何年もかけて選び続ける。

この白石は、産総研の地質ニュースでも調べられた。拾うのは度会町の田間や上久具など、川幅が広く礫のたまる下流の河原。岩は石英岩とチャートで、三波川帯の片岩に入り込んだ石英脈と、メタチャートが元だ。

行事そのものの話は御木本幸吉が変えた世界と、伊勢神宮の御白石に書いた。

石好き次郎
2〜3年かけて河原に通い、条件に合う石だけを選び続ける。それは石拾いそのものだ。神事のためだと聞くと特別に思えるが、やる中身は私たちと変わらない。

掘れる場所と、見る場所

ストーンハンター伊勢志摩——鳥羽駅から徒歩1分

三重で堂々と「掘れる」と書けるのはここだ。鳥羽市鳥羽1丁目、鳥羽駅から歩いて約1分。

「鉱山で採掘」は1鉱山1チーム(3人まで)2,400円。採掘12分、説明込みで30分ほど。予約はオンラインで、希望日の2日前の0時から前日まで。当日も、空きがあれば現地で入れる。

「川で採掘」は1人800円で20分。当日の現地受付で、受付順。全長約40メートルの水路に40種類以上の宝石が入る。40メートルを20分。一歩ごとに目を凝らすくらいでちょうどいい。

ほかの県の化石発掘体験は1億年前の石を自分で割るから探せる。

MieMuと紀和鉱山資料館

三重県総合博物館(MieMu)は津市一身田上津部田3060。基本展示は一般520円、学生310円、高校生以下は無料。月曜休館。

見どころは「三重の大地のなりたち」のコーナー。ミエゾウの全身骨格と、中央構造線の解説がある。月出の露頭の前か後に寄ると、話がつながる。

熊野市の紀和鉱山資料館は大人310円、小・中学生100円、月曜休館。竪坑を地底へ下りる疑似体験のエレベーターがあり、奈良時代から1978年の閉山までの採掘の歴史を見せる。

湯ノ口温泉へのトロッコ電車は、坑道を含めた安全点検のため当面運休。鉱山の軌道に乗れる機会はそう無いので、再開を気長に待つ。

いなべ市の藤原岳自然科学館は入館無料で、地元の化石や岩石を並べる。ただし令和8年2月1日から令和9年3月2日まで展示を休止中で、3月3日に再開の予定だ。

拾えないが、指定されている石の場所

津市の「榊原の貝石山」と「柳谷の貝石山」は、どちらも県の天然記念物の化石産地だ。一志層群大井層で、化石産地が天然記念物になった例としては全国でも最初期のものとされる。拾えない。見に行くだけの場所だ。

一志層群は約1700万年前に海に積もった地層で、大きなノジュールや貝化石が入る。

鈴鹿市の「小岐須の屏風岩」は県の天然記念物。御幣川が削った、高さ約30メートルの白い石灰岩の壁だ。

伊賀市の「逆柳の甌穴」も県の指定。直径1.5メートル・深さ4.0メートルの「雄井戸」と、直径3.0メートル・深さ1.2メートルの「雌井戸」。年に一度の「甌穴まつり」の日だけ、中に入れるという。川が石で掘った穴に、人が年に一度だけ降りる。いい話だ。

見に行く前に——料金とルール

場所見られるもの料金など石の持ち帰り
ストーンハンター伊勢志摩(鳥羽市)宝石探し体験鉱山1チーム3人まで2,400円(要予約)/川1人800円20分(当日受付)○(体験で見つけた分)
三重県総合博物館 MieMu(津市)ミエゾウ全身骨格・中央構造線・三重の大地一般520円・学生310円・高校生以下無料/9:00-17:00/月曜休/駐車約1,400台×(展示)
紀和鉱山資料館(熊野市)鉱山の歴史・疑似竪坑エレベーター大人310円・小中100円/9:00-17:00/月曜休×(展示)
湯ノ口温泉のトロッコ電車(熊野市)旧鉱山軌道—×(安全点検のため当面運休中)
藤原岳自然科学館(いなべ市)地元産の化石・岩石標本入場無料/9:00-16:30/月火休×(令和8年2月〜令和9年3月2日 展示休止)
七里御浜(熊野市〜紀宝町)日本一長い砂礫海岸・みはま小石—案内しない(国立公園第1種特別地域/採取は「拾い子さん」の許可枠組み)
鬼ヶ城・獅子巌(熊野市)東西1.2kmの階段状の大岩壁遊歩道/第1駐車場は2025年11月10日から有料×(1935年 国名勝及び天然記念物)
月出の中央構造線(松阪市)高さ約80m・幅約50mの断層露頭—×(2002年 国天然記念物)
榊原の貝石山・柳谷の貝石山(津市)一志層群大井層の貝化石—×(県天然記念物・昭和12年/昭和16年)
小岐須の屏風岩(鈴鹿市)高さ約30mの白色結晶質石灰岩—×(県天然記念物・昭和40年)
逆柳の甌穴(伊賀市)雄井戸と雌井戸年1回の甌穴まつりで内部公開×(県天然記念物・2013年)
丹生(多気町)水銀鉱の採掘跡—案内しない(坑道の立入可否の公的案内なし)
熊野古道センター(尾鷲市)熊野古道・自然・歴史の展示入館無料/9:00-17:00/駐車60台×(展示)

三重は、掘れる場所と、見るだけの場所と、拾う人が決まった浜が隣り合う県だ。同じ熊野市の中に、許可制の浜と、天然記念物の岩壁と、奈良時代から掘ってきた鉱山の資料館が並ぶ。行き先は、拾うか、掘るか、見るかで決めればいい。

三重の石探しでよくある質問

Q. 持ち物は? A. 礫浜も河原も足元が動くので、靴だけは滑りにくいものにする。天気と装備は、出る前に石拾いに行く前にで見ておける。ほかの県は都道府県から探すから選べる。

石好き次郎から

三重には行ったことがある。あらためて調べて、いちばん残ったのは「拾い子さん」という言葉だ。

石の商いを長く横で見てきた目には、産地の話はつい値札の一部に見える。だが「拾い子さん」は、値札ではなく、浜と人の付き合い方の話だと思う。

その一方で、同じ三重の海岸からは、日本最大級の恐竜が出た。拾ってはいけない浜と、歩き続けた人に報いた浜が、同じ県にある。どちらの海岸にも、下を向いて歩く人がいた。

東海の他の県は東海の川原で宝探しに、地方から選ぶ入口は石拾いマップにある。道具は石拾いが変わる道具たちで選べる。

石好き次郎
七里御浜の小石には、浜で拾わなくても出会える。拾い子さんが拾った石は、お土産品に加工されて売られる。石好きとしては、そっちで一つ手に入れるほうが筋がいいと思う。

公式確認先

行き方や料金のもとにしたページを置いておく。変わっていたら、こちらが正しい。

最終公式確認:2026年9月24日

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三重には、川の白い石を神様の庭に敷く行事もある。宮川の石英が伊勢神宮の御白石になる話は三重の真珠と御白石で。
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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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