富士川で石を拾う——フォッサマグナを流れる三大急流と、石が硯になる川

富士川の河原(イメージ)

富士川の河原は、南アルプスから来た石とフォッサマグナの火山の石が混ざる、当てものの楽しい河原だ。おまけにこの川は、石拾いから工芸を生んだ。江戸の元禄のころ、身延山へ詣でる男が支流・早川の河原で黒い石を拾い、硯にした。山梨の雨畑硯の始まりだ。河原の一個が、300年続く仕事になった。うらやましい話だ。

源は南アルプスの鋸岳。甲府盆地を抜け、静岡県の東部を通り、富士山を横目に駿河湾へ注ぐ。全長は約128キロ。最上川・球磨川と並ぶ日本三大急流の一つだ。急流は石をよく運ぶ。運ばれてきた石は、拾う側から見れば全部おみやげだ。

石の話のほかに、家康が掘らせた舟の道や、北斎が藍一色で描いた急流まで寄り道する。先に謝っておく。

石好き次郎
大断層の川、と聞くと身構える。でも河原でやることは多摩川と同じだ。一個拾って、どこの山から来たかを考える。
目次

富士川の基本——ひと目でわかる早見表

項目内容
源流南アルプス北部・鋸岳(釜無川本谷)
河口静岡県・駿河湾
全長約128km(流域面積は全国15番目)
特徴日本三大急流(最上川・富士川・球磨川)
地質の背骨フォッサマグナに位置し、糸魚川-静岡構造線が流域を縦断
河原で見る石変成岩・チャート・花崗岩類など/支流の早川・雨畑には雨畑硯の原料となる粘板岩
付随する物語雨畑硯(1690年に早川の河原の石から)・信玄堤・富士川舟運(1607年に角倉了以が開削)・北斎の「甲州石班澤」
注意日本三大急流の「暴れ川」・増水が速い/放流情報の確認

源流から河口へ——富士川を下る

鋸岳を出た水は釜無川と呼ばれ、甲府盆地へ下る。盆地で笛吹川と合わさって、名前が富士川に変わる。上流が運ぶのは、南アルプスが崩した変成岩やチャート。角の立った、まだ荒っぽい顔の石だ。

盆地を抜けると、川は身延の山あいに入る。天神ヶ滝や屏風岩の難所が続き、昔は舟の難所、今はラフティングの川だ。雨畑硯の石を育てた支流の早川も、このあたりにある。

静岡県に入って釜口峡の狭い谷を抜けると、川は富士山を背に駿河湾へ向かう。源流で角ばっていた石は、急流に転がされ、河口までに丸くなる。私は川を上流からたどるのが好きだ。角が取れていく石を順に見ると、川を一本まるごと下った気分になる。足はたいして動かしていないのに。

富士川で拾える石

富士川の石の出どころは、大きく二つ。一つは源流の南アルプスで、変成岩やチャート、花崗岩が来る。もう一つはフォッサマグナ周辺の火山性の岩石だ。生まれの違う石が一本に集まるのは大井川や球磨川も同じだが、富士川はそこに火山の石が足される。顔ぶれは一段にぎやかになる。

こういう河原が好きだ。一個拾っては、これは南アルプス、これは火山、と当てていく。答え合わせはできない。外れても誰にも怒られない。当てものとしては、これ以上の条件はない。

チャート・変成岩——南アルプスから来た石

赤や緑、黒のチャートは、放散虫という微生物が海の底で積もってできた硬い石だ。爪では傷がつかない。拾って爪を立て、跡が残らなければまず候補に入れていい。大井川の赤石岳を染めるチャートと同じ仲間が、富士川にも流れ着いている。

粘板岩——硯になる石

富士川で見逃せないのが粘板岩だ。泥が地下で圧力を受け、薄く割れる性質を持った石。黒っぽく、きめが細かい。支流の早川・雨畑では、雨畑硯の原料になる黒く緻密な粘板岩が知られる。ただ、それは決まった場所の石で、本流の河原の黒い石とは分けて考える。黒くて平たい石を拾うたびに硯を思い浮かべるのは、こちらの勝手だが。

フォッサマグナを流れる川——大地の境目

富士川は、本州の真ん中に広がるフォッサマグナを流れる。その西の縁をなす大断層、糸魚川-静岡構造線も、流域の中を縦に走る。通るのは、支流の早川・春木川の谷と、鳳凰三山の東の麓だ。線そのものは、河原に立っても見えない。見えるのは、石の顔ぶれの変わり方だけだ。

境目の西には南アルプスの古い岩、東にはより新しい火山の岩が広がる。富士川は、その継ぎ目を縫うように流れる。

流域の地質は場所ごとにまるで違う。南アルプスの東側は粘板岩や砂岩、花崗岩類。御坂山地は火山の岩と堆積岩。八ヶ岳の南麓は安山岩だ。そのうえ断層が多く、地質は複雑でもろい。河原の石は、この寄せ集めの縮図だ。寄せ集めの河原ほど、しゃがんだまま立てなくなる。

石好き次郎
穴のあいた火山の石は、見た目より軽い。南アルプスのチャートは逆で、小さくても重くて冷たい。目で迷ったら、手のひらで仕分ければいい。

石が硯になる——雨畑硯の物語

富士川の支流・早川の奥、雨畑という土地では、良質な粘板岩が採れる。この石を削って作られるのが「雨畑硯」だ。江戸時代から知られる硯の名品だ。

始まりの話が、石好きにはたまらない。冒頭の男の名は、雨宮孫右衛門。元禄3年(1690年)、早川の河原で拾ったのは、黒一色の流れ石だった。のちに雨畑硯は、将軍家に献上されるまでになる。河原の石拾いが、将軍の机まで届いたわけだ。

原石は「雨畑真石」という、黒く緻密な粘板岩だ。水をあまり吸わず、墨おり(墨のおり具合)がよい。石むらがなく、「鋒鋩(ほうぼう)」と呼ばれる細かい粒が、ほどよく墨をかむ。石を仕入れるときの目で言えば、「むらがない」は石への褒め言葉の中でも、かなり上のほうだ。

石取りから仕上げまで、工程は14ある。原石を切り、荒く彫り、仕上げに彫り、三度磨いて、繕う。拾った一個を眺めて終わる私とは、石との付き合いの深さが違う。東北の硯の石、雄勝石の話は宮城の石の中にある。

石好き次郎
私が拾った石は、たいていポケットか庭の隅に落ち着く。雨畑の粘板岩は、削られて誰かの机で何十年も墨をおろす。同じ川の石でも、出世の幅が広すぎる。

暴れ川と人——信玄堤、舟運、そして北斎

日本三大急流の富士川は、古くから「暴れ川」として恐れられた。釜無川には、武田信玄が17年かけ、1560年ごろに仕上げたとされる信玄堤が残る。力ずくで止めず、流れを受け流す治水だ。勝てない相手とは、うまく付き合う。川との付き合い方としては、石拾いにもそのまま効く。

家康が掘らせた、71kmの舟の道

1607年、徳川家康は京都の豪商・角倉了以に富士川を掘らせ、鰍沢などの「甲州三河岸」から下流の岩淵河岸まで、約71kmの舟の道を通した。甲州の年貢米を下し、駿河の塩を上げる。上りは岸を歩く二人が、綱で舟を曳いた。日本三大急流を、人の足で引っぱり上げていたのだ。石を運ぶのは川の仕事だが、塩を運ぶのは人の仕事だった。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」に、「甲州石班澤」という一枚がある。笛吹川と釜無川が合流して富士川になる鰍沢で、岩の上の漁師が体をくの字に曲げて網を引く。その体の形と、奥の富士山が相似形になる。私はこの絵が好きだ。いつか鰍沢に立って、北斎が見た流れを想像してみたい。

甲府の河原で水晶を探した山宮の河原の話とあわせて読むと、山梨の石と暮らしがこの川とどれだけ絡んでいたかが見えてくる。

どの河原に降りるか・気をつけること

降りる河原は、本流から離れた広い砂利の原を選ぶ。富士川は下流へ行くほど川幅が広がり、静岡県側では水際まで距離のある石の原が続く。上流側なら、笛吹川と釜無川が出合う鰍沢のあたりで、二つの川の石が混ざり始める。北斎が描いた場所で、足元の石の出どころを当てる。悪くない休日だ。

急流の川なので、上流で雨が降った日、降りそうな日は河原に降りない。ダムの放流の知らせも見てから行く。水位の上がり方が速く、気づいたときには中州が消える。急流で拾う一個より、帰り道のほうが大事だ。

支流の早川には、行ったことがある。本流とはまるで別の、南アルプスの奥へ分け入る谷だ。その話は山梨・早川を歩くに書いた。

ふつうの河原で、個人が石を少し拾う分には遠慮はいらない。入らないのは、私有地や採掘権が関わる場所だ。雨畑硯の原石を採る石切り場は、まさにそれにあたる。硯の石は、工房や売り場で出来上がった姿を見に行けばいい。

よくある質問

Q. 富士川と大井川、どちらが石拾いに向いている?
好みだ。富士川は火山の石が加わって顔ぶれがにぎやか、大井川は赤石の物語が濃い。両方歩くと、南アルプスの東と西の違いが手で分かる。

石好き次郎から

海の底で生まれた石が南アルプスの山になり、崩れて富士川を下る。ある石は河原の小石になり、ある石は硯になって文字を残す。私が拾うのは、だいたい前者だ。硯にはならないが、棚には並ぶ。それで足りる。

石好き次郎
急流の河原は、大水のたびに石の並びが変わる。前の年にあった黒い石は、もう下流へ行った。そのかわり、上から知らない石が届く。

公式確認先

川の地質、雨畑硯、信玄堤、舟運、北斎の話は、下のページをもとに書いた。変わっていたら、こちらが正しい。

石好き次郎のおすすめ
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富士川の河原に混じる火山の石。その背景には、南の海から来て本州にぶつかった伊豆がいる。伊豆半島はフィリピン海から来た。よそ者の石の話だ。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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