砂浜の黒い砂は磁石につく?砂鉄を集めて調べてみる

砂浜の黒い砂を磁石で引き寄せると——採集体験の写真
石好き次郎
砂浜の黒い砂に、磁石を差してみる。吸い付く粒と、知らん顔の粒がある。黒いからといって、全部が鉄ではない。そこが面白い。

砂浜の黒い砂は、全部が磁石につくわけではない。吸い付く黒い粒が砂鉄で、正体はおもに磁鉄鉱という鉄の鉱物だ。波打ち際に、墨を流したような黒い帯が走る浜がある。見た目はどれも同じ黒だ。どの粒が動くかは、磁石を差してみるまで分からない。

差すと、黒い砂がざらっと吸い寄せられてくる。初めて見ると、たいてい笑う。ただの砂だと思っていたものが、急に動き出すからだ。ところが磁石を上げたあと、黒いまま浜に残る粒もある。黒いのに、動かない。この粒の話は、少しあとでする。

磁石に飛びついてくる黒い砂が、砂鉄(さてつ)だ。日本ではこれが「たたら製鉄」で鉄になり、日本刀の「玉鋼」の原料になった。文化庁の日本遺産にも、その物語が登録されている。浜の砂遊びにしては、話が大きい。

火山の多い日本では、砂鉄を含む黒い砂が各地の海岸や川で見られる。磁石を1本ポケットに入れておけば、どこの浜でも試せる。

目次

砂鉄とは何か——磁鉄鉱の砂、その成分と種類

英語にすると、砂鉄は急に地味になる。「black sand」、ただの黒い砂だ。黒い砂そのものは世界中の海岸や川にある。日本は花崗岩・玄武岩の地帯が多く、砂鉄の多い砂が出やすい。

日本の砂鉄の中身は、主に磁鉄鉱(Fe₃O₄)とチタン鉄鉱(FeTiO₃)の二つだ。磁鉄鉱は黒くて磁石によく付く。チタン鉄鉱はやや褐色がかった黒で、付き方が少し弱い。海岸の砂鉄は、川が上流の岩を削って運び、波が重い粒だけを浜に残した結果だ。川と海が、黙って選鉱をしてくれている。

磁鉄鉱(マグネタイト)は強磁性なので、磁石を近づけると黒い砂がまとめて寄ってくる。錆びにくいが、錆びないわけではない。錆びれば赤褐色(Fe₂O₃)になる。持ち帰ったら、真水で塩を洗い流す。海の砂は、塩ごと持ち帰ると傷みが早い。

チタン鉄鉱(イルメナイト・FeTiO₃)もよく混じる。日本の砂鉄は産地で中身が違い、大きく二つに分けられる。下の表の二つだ。名前は難しいが、要は「チタンが少ないか、多いか」の違いでしかない。

種類産地主成分特徴たたら製鉄での用途
真砂砂鉄(まささてつ)山陰側(山陰帯)
出雲・山陰地方
磁鉄鉱系列花崗岩由来チタン含有少・純度高・黒色ケラ押し法(高品質な玉鋼を生む)
赤目砂鉄(あこめさてつ)山陽側チタン鉄鉱系花崗岩由来チタン多・融解温度低い・赤褐色を帯びる銑(ズク)押し法(鋳物・農機具等)

チタンが少ないか、多いか。それだけの違いで、砂の行き先が分かれた。真砂砂鉄は玉鋼になり、日本刀になった。赤目砂鉄は、鋳物や鍬のほうへ回った。中国山地の花崗岩から来た真砂砂鉄は、リンや硫黄も少ない。だから鋼になりやすい。山陰・出雲が日本の鉄の中心になったのは、この砂が豊富に採れたためだ。刀と鍬。どちらも、砂にしてはよく出世した。

稲村ヶ崎——鎌倉時代から江戸時代まで砂鉄が採られた海岸

「名将の剣投ぜし古戦場」。明治の唱歌で、稲村ヶ崎はそう歌われた。鎌倉を攻めた新田義貞が太刀を海に投げ入れ、潮が引いて道が開いた、という伝説の岬だ。剣を投げた浜の砂が、剣の材料になる黒い砂。話ができすぎている。それでも、足元は本当に黒い。

極楽寺坂の切通しにも近く、昔から鎌倉へ入る大事な通り道だった。いまは寺を回ったついでに、磁石を持ってくる人もいる。寺の次に浜。鎌倉らしい寄り道だ。

稲村ヶ崎へは、JR鎌倉駅から江ノ電に乗り、稲村ヶ崎駅で降りて歩いて約5分だ。波の高い日は波打ち際に近づかず、穏やかな日を選ぶ。岬そのものは国の史跡だ。岩場は削らず、砂浜で磁石を使う。狙うのは波打ち際の縁、黒い帯になった所だ。磁石を差し込むと、一瞬で砂鉄が付く。スーパーのビニール袋を磁石にかぶせておくと、あとで外すのが楽になる。

稲村ヶ崎の砂鉄が鎌倉の刀になった、という話はよく聞く。ただ、ここの砂鉄から刀の玉鋼を作るのは難しかっただろう、という見方もある。鍋や釜、包丁くらいなら十分作れた、と。刀より台所。私はそっちの話のほうが、浜の砂らしくて好きだ。

砂鉄の話になると、まず名前が出る浜だ。「砂鉄の聖地」と呼ぶ人もいる。大げさな呼び名だが、黒い帯を見れば気持ちは分かる。ただ、その黒は全部が砂鉄ではない。砂粒の半分ほどを占める黒い粒には、磁鉄鉱のほかに角閃石や輝石が混じる。磁石に飛びつくのは磁鉄鉱のほうだ。冒頭の問いの答えが、ここで半分出る。

出どころは、海の底だ。相模湾沿いに広がる三浦層群逗子層は、深い海の底にたまった地層で、間に火山灰の層を挟む。その火山灰の磁鉄鉱が、波と海流で選り分けられて海底の砂鉄層になった。波がそれを浜へ打ち上げ続ける。在庫は海の底にある。こちらが取りに行かなくても、波が配達してくれる。

記録では、江戸時代まで稲村ヶ崎で砂鉄が採られていた。鎌倉時代の刀工がここの砂鉄を使ったという話も残る。日本刀の砂鉄といえば島根、という印象は強い。ただ鎌倉の浜の砂鉄も、長いあいだ人の手で鉄になってきた。そう知ると、足元の黒い砂が急に重く見えてくる。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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