山梨県甲府市がジュエリーの都になった理由——戦国時代の水晶細工から世界の宝飾産業へ

甲府のジュエリー産業——水晶細工から発展した日本の宝飾の都
石好き次郎
戦国時代、武田信玄が水晶細工を保護した、と伝わる。産地と職人が同じ場所にあったことが、いまの産業になった。

甲府がジュエリーの都になったのは、水晶が採れたからだ。もっと正確に言えば、水晶が採れなくなったあとも、磨く手が町に残ったからだ。

数字で見ると、山梨県は貴金属の装身具の出荷額が日本一で、ジュエリーの製造所の数は全国のおよそ3分の1。関連の会社は1,000社に迫り、その真ん中に甲府がある。銀座・六本木の店に並ぶ指輪やネックレスも、多くは甲府で加工されたものだ。きらびやかな売り場の裏に、盆地の工房がある。

目次

なぜ甲府に水晶が集まったのか——昇仙峡と花崗岩地帯

昇仙峡は、水晶の産地として名の通った渓谷だ。新第三紀の花崗岩が削られてできた谷で、花崗岩の裂け目に水晶(石英)が育つ。透明で、六角柱がまっすぐ立つ。水晶を磨く細工は、江戸時代の後期からこの土地にある。

ただし、いまの昇仙峡で石は拾えない(決まりは後の段にまとめた)。拾えない代わりに、土産物店には水晶がずらりと並ぶ。仕組みの話も後で書く。先に言っておくと、店の水晶の産地ラベルは、読んでおいて損はない。

武田信玄と水晶——戦国大名の鉱物利用

戦国時代、武田信玄の甲斐で水晶が財源になる石だった、という話も伝わる。ただ、水晶を磨く細工が産業の形で出てくるのは、江戸時代の後期からだ。大名が石に目をつけた、という筋は分かりやすい。気持ちは分かる。

江戸時代の水晶産業——甲府勤番と技術の蓄積

江戸時代、甲斐は幕府の直轄地になり、甲府勤番が置かれた。水晶を磨く細工と、金銀の飾りの職人が町に根づいたのは、江戸時代の後期だ。石を磨く手は、この時代に町に染みこんだ。

明治維新と宝石加工への転換

明治から大正にかけて、磨く道具が電動になり、国産の水晶だけでは足りなくなった。大正の初めごろからは、ブラジルの水晶を大量に輸入して磨くようになる。昇仙峡で初めて水晶の原石を買ったとき、店主に産地を聞いたら、即答で「ブラジルです」。水晶の里で、ブラジル。甲府の歴史を知ると、これほど正直な答えもない。

明治末から大正にかけて、磨く対象は水晶からルビー・サファイア・エメラルドへ広がった。原石は外から来る。甲府は磨きの腕で値打ちを足して出す。いまの甲府の形は、このときにできた。

戦後復興とジュエリー産業の飛躍

戦争で一度は壊れた産業が、高度経済成長期(1955〜1970年代)に戻ってくる。婚約指輪と結婚指輪が当たり前になり、百貨店の宝飾売り場が広がった。全盛は1970〜80年代。指輪が売れる時代に、磨ける町がちょうどそこにあった。

時代甲府の宝石産業の状況主要製品
江戸後期昇仙峡産水晶の採掘・加工水晶球・念珠・印材・簪
明治〜大正海外産原石の輸入加工に転換カット水晶・宝石彫刻
昭和戦前宝飾品加工に拡大指輪・ブローチ・ネックレス
戦後高度成長期婚約・結婚指輪需要で飛躍ダイヤモンドリング・宝石付きジュエリー
現代国内最大の宝飾産地(出荷額日本一)あらゆるジュエリー・輸出品

現代の甲府ジュエリー産業——世界との競争と課題

いまの相手は、中国・タイ・インドの安い量産品だ。値段では勝てない。甲府が勝負するのは、彫金・石留め・仕上げの細かさで、海外の高級ブランドからOEM(相手先ブランド製造)を受けるメーカーも多い。勝てない土俵には上がらない。商売の基本だ。

「山梨ジュエリーミュージアム」などの取り組みは、産地の宣伝と後継者づくりのためにある。技術は、使う人がいないと残らない。拾う人がいない河原の石が、名前も付かずに転がるのと、少し似ている。

甲府で石好きが寄る場所

甲府で石好きが寄る場所は、だいたい三つある。昇仙峡、ロープウェイ周辺の土産物店、市内の宝飾店だ。昇仙峡は見るだけ。土産物店には国内外の鉱物標本や水晶製品が集まる。山梨県立宝石美術専門学校は年に数回、一般公開日を設けている。

荒川や笛吹川の河原で拾ってから町に入れば、石が採れる場所から磨かれる場所まで、一泊二日で流れを歩ける。拾った水晶が職人の手にかかったらどうなるか。そんな想像をしながら河原を歩くのは、甲府ならではの遊びだ。

甲府産水晶の採集と現在の産地状況

昇仙峡は国の特別名勝で、しかも秩父多摩甲斐国立公園の中だ。石は拾えない。拾うなら下流の荒川・笛吹川の河原だ。上流から流れてきた水晶が混じる。荒川ではルチル水晶(金針入り水晶)が見つかることもあるが、珍しい。狙って歩くものではない。

いちばん入りやすいのは、甲府市の山宮河川公園だ。水晶・長石・角閃石・磁鉄鉱が拾える。ラベルに「甲府市・荒川」と書けば、小指の先ほどの水晶が、甲州の宝飾史の端にぶら下がる。石は何も変わらない。変わるのは、ラベルの一行だけだ。

甲府の宝石教育——地場産業を支える人材育成

山梨県立宝石美術専門学校(甲府市)は、日本で唯一の公立の宝石専門学校だ。宝石学・貴金属加工・ジュエリーデザインを学び、卒業生は甲府のメーカーや全国の宝飾店へ行く。石を一生の仕事にしたい若者が、毎年ちゃんと入ってくる。

市内の「山梨ジュエリーミュージアム」は、加工の歴史・工程・名品を見せる博物館で、入館は無料だ。河原の原石しか知らない人間には、石がここまで化けるのかと、少し悔しい場所だ。

甲府の宝飾の催しと産地PR

甲府では、宝飾の見本市と一般向けの催しが年に何度か開かれる。4月の「山梨ジュエリーフェア」のあとには一般向けの「甲府ジェムマーケット」があり、11月ごろには「やまなしジュエリーウィーク」もある。拾う側の人間が行くと、市場がどんな石を欲しがるかが、値札でよく分かる。

宝石鑑定と甲府の鑑別機関

甲府には、大手の鑑別機関の研究所が置かれていた時期もある。鑑別機関は、翡翠・ルビー・サファイア・ダイヤモンドの鑑別書を出す。費用は石と内容で変わり、一般に5,000〜15,000円程度。河原の水晶を出すことは、まずない。出したくなる石に会えたら、それは事件だ。

石好き次郎
甲府に行くなら、店に入る前に河原に寄るといい。拾った水晶と、店で磨かれた水晶を、同じ日に見られる。同じ産地の石が、2つの顔を持つ。

ラベル一行で、値段が変わる

「甲府産」「荒川産」という産地ラベルは、値段を動かす。同じような水晶でも、産地の一行が付くだけで値札が上がる。だから買う側は、その一行に裏づけがあるかを見る。一行で値段が変わる場面は、石の商いの横で何度も見てきた。

甲府から見た日本の宝石産業の未来

いちばんの課題は、職人の高齢化と後継者不足だ。石留めや仕上げの手は、一度途切れると戻らない。一方で、拾う・磨く・売るを一人でこなす小さな宝飾作家も増えてきた。町の形は、少しずつ変わる。

昇仙峡の水晶は、なぜ大きく透明なのか

昇仙峡の土台は新第三紀の花崗岩だ。荒川が削って、垂直に近い岩壁と奇岩の谷を作った。水晶が集まるのは、花崗岩の中の「ペグマタイト」という粒の粗い部分。マグマが冷え切る最後に、残った流体(SiO₂・H₂O・フラックス成分)がそこに集まる。

その流体の中で、結晶はゆっくり育つ。急がないから、大きく、透明になる。

形は六方晶系の六角柱。両端に頭のある「両錐水晶」は、標本としていちばん値がつく。昇仙峡の水晶が評判なのは、透明度、頭の出来、それに産地の名前の古さの三つだ。三つ目は、石の手柄ではない。

甲府盆地の石採集マップ——荒川・笛吹川・釜無川

荒川(甲府市)は、昇仙峡のほうから水晶が流れてくるいちばん有名な川で、山宮河川公園のあたりに人が集まる。笛吹川(笛吹市)は、水晶のほかに、めのうや赤い碧玉が混じる川だ。釜無川(韮崎市以南)は南アルプスから下りてくる川で、荒川とは石の顔ぶれが違う。

甲府盆地は四方を山に囲まれ、山ごとに違う石が、川で盆地の底に集まる。北の山の花崗岩もあれば、南アルプスや御坂の山から来た石もある。一つの河原に、いくつもの山の石が転がる。どの石がどの山から来たか、地質図と突き合わせると、平らな盆地が急に立体になる。

甲府の宝石文化を次世代に伝える取り組み

甲府市は「ジュエリーのまち甲府」として産業観光に力を入れる。工房見学を受け入れるメーカーもあり、石を磨いたり、指輪のデザインを試したりできる。地場産業の学習で宝石加工を扱う学校もある。この町では、子どもが石を磨く。うらやましい。

甲府に来るたびに、石が産業になる流れの、いちばん上流に自分がいると思う。川で拾うのは、流れの最初の一粒だ。そう思うと、河原にしゃがむ時間も、少しだけ胸を張れる。

海外のブランドが、盆地まで来る

甲府のメーカーは、国内向けだけでなく海外向けのOEMでも働く。フランス・イタリア・アメリカのブランドが製造を任せ、海外のバイヤーが盆地まで来る。国際宝飾展にも、甲府の業者が毎回多く出る。

なぜ甲府なのか。職人一人が一つの品に最後まで付き合う、小さくて丁寧な作り方が、量産品との差になる。誰がどう作ったかが見える品は強い。拾った石の産地ラベルと、理屈は同じだ。

水晶を掘った町が磨く町になり、いまは海の向こうの指輪まで作る。一つの盆地で、石の一生がほぼ全部見える。石好きが遠回りしてでも寄る理由は、それで足りる。

石好き次郎から

荒川で水晶を拾うたびに、これが昇仙峡から流れてきたのかと思う。拾った私より、石の生まれのほうが、いつも話が大きい。

甲府の歴史を追って、石の値打ちは産地と技術と時代の重なりでつくものだと知った。信玄の時代に水晶を出した山から、いまも石が、私の拾う川に流れてくる。同じ流れの中に、自分もいる。

それから、どこで拾った石かを覚えておくことが、少しだけ大事に思えてきた。100年後の誰かの役に立つ、とまでは思わない。思わないが、雑には扱えなくなった。

荒川の水音を聞きながら石を探す時間は、いまも好きな時間の一つだ。歴史を知っても、河原でやることは変わらない。拾って、濡らして、日に透かす。それだけだ。

磨くか、磨かずに置くか

拾った荒川の水晶を、甲府の職人に磨いてもらって指輪にする。産地のはっきりした素材で作る、一点もののジュエリーだ。職人と組んでそういう品を作る石好きも出てきた。磨けば指輪になる石を、磨かずに棚に置いておく。それもまた、石好きのやり方だ。

石好き次郎
山で拾った石と、店で磨かれた石。どちらが本物かという話ではない。私はただ、拾ったほうを手元に置いている。
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荒川の河原へ下りるなら、甲府の山宮河川公園だ。白く光る石が本当に水晶かは、甲府の川に水晶はある?で確かめに行ける。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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