戦国大名が城郭に使った石垣の石——花崗岩・安山岩・凝灰岩の選定基準

戦国時代の城郭石垣——花崗岩・安山岩・凝灰岩の地質と選定基準
石好き次郎
戦国大名は、城の石を近くの山から切り出した。運搬費が安いからだ。だから石垣を見れば、その土地の地質が分かる。

城の石垣の石は、多くがその土地の山の石だ。だから石垣を見れば、その土地の地質がだいたい読める。徳川大坂城、姫路城、熊本城。花崗岩、安山岩、凝灰岩、砂岩。天守を見上げる人の横で、石好きは石垣の根元ばかり見ている。

大名が石垣の石を選んだ基準は、産地、硬さ、割れ目の向き、色のそろい方。河原で石を選ぶ基準と、半分くらいは同じだ。違うのは、向こうは山ごと選んだことだ。

目次

城郭石垣の歴史——石垣はいつ、なぜ生まれたか

石垣が本格的になるのは戦国時代(15〜16世紀)。それまでの城は、土を盛った土塁が主役だった。鉄砲(16世紀中頃に伝来)が広まると、土では持たない。大きな石を積んだほうが強く、雨にも崩れにくい。織田信長が安土城(1576年築城開始)で本格的な石垣を使ったのが画期とされ、以後は石垣が当たり前になった。

積んだのは、近江国(滋賀県)の石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」だ。石の性質、割り方、積み方を知り尽くし、全国の城に関わった。その技は、口伝と手で受け継がれてきた。

石垣の3つの積み方——野面積み・打込み接ぎ・切込み接ぎ

積み方は時代で変わる。古いのは「野面積み(のづらづみ)」。自然石をほぼそのまま積むので隙間が多く、そのぶん水はけがいい。戦国初期の城に多い。次が「打込み接ぎ(うちこみはぎ)」。石の角を少し削って、接する面を増やした。安土桃山〜江戸初期に多い。

最後が「切込み接ぎ(きりこみはぎ)」。石を精密に加工して、隙間なく積む。江戸時代の城に多い。自然のまま積むか、人の寸法に合わせて削るか。拾った石をそのまま飾るか、磨くか。石好きがずっと迷う問いと、同じ形をしている。

石材代表的な城産地の特徴石材の特性
花崗岩大坂城・名古屋城・姫路城中国地方・近畿の花崗岩帯硬度高・加工しやすい・白灰色
安山岩熊本城・江戸城九州・東海の火山岩帯硬く重い・耐火性高い
凝灰岩姫路城(竜山石)・各地の城播磨(竜山)・伊豆・関東・東北軽くて加工しやすい・耐久性やや低
砂岩各地の城(地域による)堆積岩地帯加工しやすいが風化しやすい
転用石(墓石・礎石・仏塔台石)大坂城・福知山城・各地の城仏教寺院・神社の石材を転用すでに加工済み・大型品の短期調達が可能

花崗岩——最も多く使われた城郭石材の地質学

城の石垣で一番多いのは花崗岩だ。マグマが地下深くでゆっくり冷えた深成岩で、石英・長石・雲母・角閃石の粒が目で見える大きさにそろう。硬く、大きな塊が採れ、石目に沿えば素直に割れる。河原で白地に黒いゴマを振ったような石を拾ったら、城の石と同じ顔をしている。

大坂城の石垣には、六甲山地と、小豆島など瀬戸内の島々の花崗岩が使われた。大阪湾と瀬戸内海を、船で運んで集めた。城づくりは、大がかりな石の物流づくりでもあった。江戸城の石垣は、伊豆の安山岩が主体だ。

伊豆から江戸までは、相模灘を越えて東京湾へ、海の上を運んだ。石がどこから来たかを考えるのは、河原でも城でも同じくらい面白い。違うのは、城の石は一個で何人がかりだったか、というところだ。

転用石——仏像・墓石・礎石が城壁に

石垣には「転用石(てんようせき)」が混じることがある。寺の礎石、仏塔の台石、墓石、石灯籠を、城の石垣に回したものだ。豊臣の大坂城や福知山城では寺社の石を大量に使ったことが知られ、仏の姿や梵字の彫られた石が見つかることがある。急いで積んだ証拠でもある。

短い期間に大量の石を集めるには、そこにある石を使うのが早い。寺の土台だった石が城壁になり、いまは史跡として観光客を迎える。石のほうは、何も気にしていない顔で積まれている。

石好き次郎
梵字の彫られた石垣の石は、寺の礎石を回したものだ。寺の土台から城壁へ、そして特別史跡へ。肩書きは三回変わったが、石は最初から同じ石だ。

城の石の産地で、同じ石を拾う

城の石の産地を訪ねると、城見物と石拾いがつながる。姫路城の石垣に使われた竜山の周り(兵庫県高砂市)では、同じ凝灰岩が地表に顔を出す。熊本城の安山岩は、城の近くの山から来た火山の石だ。江戸城の石は伊豆半島だ。

真鶴・函南・韮山の周辺では、安山岩が「江戸城石」として説明板つきで残り、石を切り出した跡を見られる場所もある。伊豆の河原で灰色の安山岩を拾って、これの兄弟が江戸城にいる、と思う。それだけで、いつもの石が少し重くなる。

ただし、史跡の石丁場(石を切り出した跡)では拾わない。拾うのは近くの河原や海岸の、ただの石でいい。メモに「江戸城石垣と同じ産地」と一行足すと、そのただの石が急にしゃべり出す。

石垣の修復——現代に受け継がれる穴太衆の技術

城の石垣は、いまも直され続けている。熊本城は2016年の熊本地震で石垣が大きく崩れた。修復は20年以上かかる見込みで、何万個もの石を元の位置に戻す作業が続く。新しい測量の技術と、古い積みの技を組み合わせている。

崩れた石には1個ずつ番号を振り、3Dスキャンで形を記録した。そのうえで、職人が石目と重さを見て積み直す。機械は「どこにあったか」を教えるが、「どう置くか」は教えない。完了予定は2052年度とされてきたが、2026年の熊本地震で石垣がまた崩れ、見通しは揺れている。

何万個もの石に、それぞれ位置と形の記録がある。だから崩れても元に戻せる。拾った石にラベルを付けるのを面倒がる人は、この話を一度思い出すといい。私も含めて。

城の石垣は、その土地の見本帳

城の石垣は、その土地の地質の見本帳だ。大坂城には六甲と瀬戸内の島々の花崗岩。徳川が諸大名に運ばせた「天下の石」だ。姫路城の石垣には、地元・播磨の竜山石(凝灰岩)が多い。「白鷺城」の白さは、白漆喰の壁から来る。

熊本城の反り返った石垣「武者返し」は安山岩。火山の土地の石が、あの曲線になった。弘前城は津軽の安山岩・花崗岩、松山城は伊予の花崗岩。城を順に見て回ると、日本の地質を一周したのとあまり変わらない。

穴太衆の石積み技術——産地と石目を読む職人の眼

穴太衆の本拠は、近江国坂本(いまの滋賀県大津市坂本)。16〜17世紀の築城ブームで全国の城に呼ばれた。腕の芯は、石を見る目だ。石目、ひびの走り方、硬さのむら、水はけ。一個ずつ見て、置く場所と向きを決める。河原で持ち帰る石を決める目と、根っこは同じだと思う。規模は比べものにならないが。

穴太衆の子孫・粟田家(滋賀県大津市坂本)は、いまも石垣修復の第一人者だ。戦国から400年以上続く技が、いまの修復の現場で使われる。石の仕事は、ちゃんと人から人へ手渡されてきた。

何百年ももつ石の条件

何百年も崩れずに残った石垣は、石の丈夫さの証明書みたいなものだ。条件は四つある。硬いこと。割れ目が少なく、むらがないこと。水を吸いにくいこと(しみた水が凍ると割れる)。風化に強いこと。

花崗岩と安山岩は、四つともそろう。凝灰岩と砂岩は加工しやすいが丈夫さで少し劣り、使いどころを選んだ。拾った石をしまうときも同じで、石英・水晶や翡翠は放っておいても変わらない。孔雀石・藍銅鉱のような銅の二次鉱物は手がかかる。手がかかる石ほど、なぜか色がきれいだ。

日本の地質と城郭の分布——地質図から城を読む

城の分布と地質図を重ねると、面白いほど合う。花崗岩の多い中国地方・山陰・北陸・瀬戸内には花崗岩の城、火山の多い九州・東北・関東には安山岩や玄武岩の城が多い。

産業技術総合研究所の「地質図Navi」を開いて城を歩くと、石垣の石がどの地質から来たか、だいたい当たりがつく。当たっても外れても、誰も採点しない。そこがいい。

石選びは、硬さだけでは決まらない。割れ目の入り方、運ぶ距離、削りやすさ。硬すぎる石は、加工に時間を食いすぎる。落としどころとして、花崗岩が選ばれることが多かった。一番いい石より、使える石。城は現場の判断でできている。

面白いのは、技術が上がるほど隙間は消えるが、水の逃げ道も消えることだ。完璧な石垣が、一番強いとは限らない。

石垣を直すには、金も腕も要る

国の文化財に指定された石垣も多く、直すには金も腕も要る。熊本城では、2016年の地震からの修復だけで、総額600億円を超える見込みだった。全国から石工が集まる、石垣修復の総力戦だ。

多くの城が、ふるさと納税やクラウドファンディングで保存の寄付を受け付ける。熊本城の復興にも、全国から大きな支援が集まった。石垣の石を一個買うことはできないが、一個を戻す手間賃の端数くらいなら出せる。

石垣を読む——現地見学の実践ガイド

現地での見方。まず色で石の種類を当てる。白〜灰なら花崗岩、黒〜暗い灰なら安山岩か玄武岩、黄褐〜茶なら凝灰岩か砂岩が多い。次に大きさ。1辺1mを超える巨石が多いほど江戸時代、小さい石が多いほど戦国期の石垣、という傾向がある。

次に積み方。野面積み、打込み接ぎ、切込み接ぎを見分ければ、建てた時期の見当がつく。それから転用石探し。仏の姿、梵字、家紋、前の加工の跡。最後に、地質図と城の資料で「どこから来た石か」の仮説を立てて、目の前の石と答え合わせをする。

5つ全部やると、城にいる時間は倍になる。連れの機嫌は、たぶん半分になる。

城の石垣を見るようになったのは、石好きになってからだ。それまでは、ただ積まれた石だった。いまは「どこから運んだ石か」「何の岩石か」が先に気になる。城は、屋根のない標本展示場だ。

石好きの目で石垣を見ると、一つの城に何種類もの石が混じるのに気づく。刻印のある石は、どの大名が運んだかを示す記号で、地質と歴史をつなぐ結び目になる。

石好き次郎から

遠くの名石より、近くの使える石。石拾いも、だいたいそうだ。

隙間のない切込み接ぎは美しい。ただ、崩れると一気に崩れる。隙間だらけの野面積みのほうが、私にはなんだか信用できる。

穴太衆は、自然石をそのまま積む技術を持っていた。図面より先に、石を見る目があった。私の20年は、その目の入口に立ったくらいのものだ。

石好き次郎
石垣の前で長く立ち止まり、下ばかり見ている人がいたら、たぶん何も落としていない。石を見ているだけだ。
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穴太衆が見た石の中には、積まれずに終わった石もある。大坂城のために切り出され、島に残った残念石の話へ。

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この記事を書いた人

石好き次郎
石を拾って20年、仕入れて売る仕事もしてきた。実際に見て、触って、確かめたことだけを書く。

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